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【日記/94】愛ちゃんと歩美ちゃん

噂に聞いたところによると、大学時代、「可愛い子しか入れないサークル」というのが非公式で存在していたらしい。「らしい」というのは、当然ながら私はそのようなサークルに入ることのできる資格(顔)は持っていなかったので、話に聞く程度でしか存在を認知できなかったのである。今考えても非常にバカバカしいし、入ったところでどうせタワマンで乱交パーティーとかするんだろ! 的な貧困な想像しかできないが、しかしそれはそれとして、なんとなくモヤモヤ〜っとした感情を学生時代の私に抱かせたのが、その「可愛い子しか入れないサークル」である。

愛ちゃん(仮名)は、そんな「可愛い子しか入れないサークル」への勧誘を受けた可愛い女の子の1人だった。色素が薄くて髪の毛がふわふわで、「天使!!!」と叫びたくなるような可憐な外見をした子だったが、愛ちゃんは「可愛い子しか入れないサークル」への入会を断っていた。理由をたずねると、「くだらないから」と蔑むような目で一蹴した(ぞくぞく)。18歳という浮かれた若さで迷うことなくその決断を下した愛ちゃんは、今思うとたいした精神力を持った子である。ちなみに愛ちゃんはヘビィメタルを心から愛しており、のちにヘビメタ好きの男と付き合っていた。

歩美ちゃん(仮名)も、雑誌に載ったりミスコン候補になったりしていた可愛い子で、「可愛い子しか入れないサークル」への勧誘を受けていた1人であった。が、結局入っていたのか入っていなかったのかはよくわからない。歩美ちゃんが愛ちゃんと異なるのは、歩美ちゃんは可愛いとはいえど「周囲の女子を敵にまわすタイプ」の子で、私の友人の彼氏をもてあそんだりしていたので、個人的にはあまり心証がよくない。

そんな歩美ちゃんとは、大学に入学して間もない頃、フランス語の先生に「これあげる。くだらなすぎて、ボクは興味がないから……」と言われてもらった映画の無料招待券を持って、2人で映画を観に行ったことがある。観た映画は『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』。B級どころかC級のクソ映画で、田舎町に飛来したエイリアンが住人の首をブーメランのような手足でバシュバシュ刈っていく様子を楽しむ血みどろスプラッタームービーだ。映画自体はクソに次ぐクソとしかいいようのないクソさだったのであまり内容を覚えていないが、住人の首がブッシュウウウウ! と飛ぶ様子を可愛い顔でニコニコしながら見ていた歩美ちゃんが強く印象に残っており、未だに「エイリアンVS……」という文字列を見ると、私は歩美ちゃんのことを思い出してしまう。


なぜ愛ちゃんと歩美ちゃんの話をしたのかというと、先日『ねほりんぱほりん』の整形する女回を見たからである。登場していた整形美女のエリカさんは、「左右で微妙に違ってて……」と自らの鼻のラインをとても気にしていたが、MCの山ちゃんとYOUに言わせると、「全然わかんない」レベルらしい。「全然わかんない」レベルのものを、なぜエリカさんはそんなに気にかけているのだろうか。

私も、「可愛い子しか入れないサークル」を噂に聞くことしかできず、自身にはまったく声がかからなかった程度の容姿の持ち主でしかないので、「容姿にコンプレックスなし!」などとはとてもとても言えない。だから、エリカさんの言うことがさっぱり理解できないというわけでもない。でもやっぱり、女優とかモデルとかタワマンの乱交パーティー(妄想)とかを目指すんでない一般人は、容姿にあまり期待や依存をしなくてもいいのではないか、と思う。

なぜかというと、容姿を変えるのは実はすごく簡単だからだ。「整形にウン百万ってかかってるんだから簡単じゃねえよ!」と言われるかもしれないが、金なんて無心に働けば用意できる。まつエクをつけるのも、高い美容液を買うのも、爪をきれいにするのも、諭吉を何人か用意すれば誰でもやってもらえる。だけど、エリカさんも私もその他全国の女性も、「美しい容姿」それ自体が欲しいわけではなくて、本当に欲しいのはその先にある「他者からの承認」だろう。もう少し鼻のラインが整っていたら、もう少し目が大きかったら、あの人にもっと好きになってもらえるかもしれない。仕事のチャンスが増えるかもしれない。なんかよく知らないけどまわりの人にチヤホヤしてもらえていい気分になれるかもしれない。女性が佐々木希になりてえなと願うとき、欲しいのは「佐々木希の顔面」それ自体ではなくて、「佐々木希から見える世界」なのである。

容姿を変えたいと思うとき、自分の視線はとにかく自分に向かう。自分の鼻のライン、自分の目の大きさ、自分の顎、自分の胸。だけど多くの人が欲しているのは、くりかえすように「他者からの承認」だ。他者からの承認が欲しいなら、その視線は自己ではなく他者に向けなければならない。他者を理解しようとしなければならない。そうやって他者に視線を向けることはときに苦痛を伴うし、その成果だって諭吉を積めばどうにかなるようなものではない。それでも、本当の目的を見失って、自分の容姿を変えればすべて上手くいくはずだ、という幻想にとらわれてはならないと思うのだ。

もちろん自分の容姿を整えることだってある程度は必要、どころかとても大切なことなのだが、それが行き過ぎている(かのように見える)人がいると、私は「サボってんじゃねえよ」と思ってしまうのであった。エリカさんは恋愛体質で相手に依存してしまうところがあるというが、その苦しみからは鼻のラインを変えたところで脱することはできないだろう。目の前の、付き合っている彼氏のことをちゃんと見てあげないことにはあなたは永遠に苦しむのに、とお節介ながら腹が立ってしまった。しかしまあ、こういう類のものは言うは易し行なうは難しなので、私も人のフリ見て我がフリなんちゃらというやつで、今後もほどほどに頑張っていかねばならない。


そういえば、ちょっとビッチでクラバーでもあった歩美ちゃん。「身体芸術論」の授業で、『私とクラブとセックス』というトガったタイトルの期末レポートを提出していた。

クラブもセックスも、「身体芸術」として考えるにあたり非常にラディカルにして深淵に迫るテーマである。これはもう歩美ちゃんの審美眼勝ちとしかいいようがない。私はたぶんなんかの舞台を観てレポートを書いたはずだが、歩美ちゃんのレポートのタイトルが私の記憶のすべてをかっさらっていってしまっており、自分のことは何も覚えていない。私の友人の彼氏をもてあそんだ子なのでやはり心証はよくないのだが、そのレポートだけは素直に「読ませて」と言えばよかった。30歳になって後悔していることの1つである。

「可愛い子」というと、私の頭に真っ先に浮かぶのはやっぱり愛ちゃんと歩美ちゃんで、それはすなわち「どこが天使じゃ!!!」という様相でヘビメタでヘドバンすることと、『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』を思い出すことなのであった。彼女たちは彼女たちのやり方で世界と対峙し、その可愛い瞳から見える世界もまた、苦しみと無縁のものではなかったはずだ。

この認識がどれくらい歪んでいるのか、あるいは案外現実に即しているのかは、自分ではちょっとわからないけれど。

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旅と文学について書くブロガー・コラムニスト。 AM連載:https://am-our.com/author/103/article 書籍:『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか』
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