クイティウ2

【日記/95】好奇心って?

「あなたは好奇心が旺盛だ」と、昔から人に言われることが多かった。ので、なんとなく、私は自分は好奇心がそこそこ旺盛なんだと思って生きてきた。だけど、そんなことないかも、私って意外と保守的かも、と思った話を書く。

先日、「ランチや休憩でいつも同じ店を選びがちな、行動パターンが保守的な人は、早くボケるから注意」という話を聞き(読み)かじったのだが、これはもう、まんま私である。ちょっと時間が空いたからカフェに入るとか、一人でランチとかっていうときは、新しい店を開拓するのがめんどいのでいつも同じ場所を選んでしまう。しかし話を聞いて、そうか、早くボケるのか……と考え直した私は、最近は意識していつもとは異なる店を開拓するようにしている。正直だるいし、脳のメモリを余分に喰われている感じがして不快だ。だけど、これは脳トレである。ボケないために頑張るのである。

しかし、皮肉屋の私はつい考えてしまう。仮に、ここに「ランチやカフェでいつも異なる店を選ぶ、脳がめっちゃ強そうなAさん」がいたとしよう。Aさんは一見ボケなさそうだが、しかしAさんの中では「いつも異なる店を選ぶ」ということこそがパターン化されているわけで、ようはそっちの脳梁ばかりが太くなっているのである(脳の専門的なことは知りません)。つまり、Aさんの中では「いつも同じ、前回と同じ店に入る」という思考回路が除外されているわけで、つまりはAさんだって実は保守的なのではないか? みたいなことを考えたのである。

私が好奇心旺盛だと言われやすいのは、たぶん海外旅行が好きなのと、本をけっこう読んでいる(ように見える)からだと思うが、これも「旅行」と「読書」という自分に慣れ親しんだ行動を反復しているだけなので、よく考えたら好奇心が旺盛だということにはまったくならないのではないか。……などと考えた私は、このままだと早くボケてしまいそうなので、最近は筋トレに目覚めてみたり格闘技を始めてみたり、「それまでの自分がやらなかった行動パターン」を意識してとろうとしている。しかし、これもまた「それまでの自分がやらなかった行動パターンをあえて選択する」という脳梁がいつしかガンガンに太くなり、それすらも「保守的」の範疇におさまってしまうのではないか……などと考えてしまい、最近の私は完全に「好奇心のマトリョーシカ」にハマっている。どこまで行っても入れ子構造、真実はいずこへ……。

話をシンプルにしよう。ようは、「保守的」と言われてしまう構造から脱するためには、脳に新しい電気信号を送ればいいわけである。さて、どういった行動が真に新しい電気信号となるのか。

みたいなことを考えるために、最近は脳科学の本が面白くてハマって読んでいる(もちろん、難しい本は読めないので簡単なやつだ)。まだ回答らしい回答は見つかっていないが、下記の本は面白かったので興味のある人は見てみるといい。「脳活動のデータを見ると、不安と劣等感が同じ部位から発生していることがわかる。さらに、他人の不幸なエピソードを聞くと、脳内の報酬系という部分が刺激を受けていることがわかる」なんて話も、あ、脳って本当にそういう動きをするんだ、などとわかって面白い。他人の不幸を喜ぶなんて道徳的には排除したい感情だし、自分の中にそういう部分があったら嫌だなあと思うが、脳内にシステムとして組み込まれていることから考えると、こんなことも太古の人類の生存には必要だったのだろう。ご先祖様が生き残るための機能だったんだからもうどうしようもないわネ、と思うと自分の中の汚い感情にも諦めがつく。

脳には妙なクセがある (扶桑社BOOKS)

何をどう言われてもいまいち信じない根っからのひねくれ者の私でも、「脳科学でこういう実験をするとこういうデータが出る」と言われるとやっと納得する(それでもまだ、「今度はこういうパターンで実験してみたらこれとは違う結果が出たりしないですかあ?」などと訝しがっているが、しかしこちらはド素人で向こうは専門家なのだから、とりあえず飲み込む)。

しかし、また本を読んでいる。疑問が生じるとすぐに「何か参考文献を……」となるのは私の癖である。だから私はやっぱり保守的な人間なのだと思うが、それを言い出したら人間なんてみんな保守的で偏狭的な傾向にあるだろうとかも思う。しかしだとするならば、人は何を見て、何を指して「好奇心が旺盛」と言っているんだろう? 脳の電気信号なんてどうでも良くて、「活動量が多い(ように見える)」ってことを言い換えてるだけかもしれない。でも、どうせなら真実を、つまり電気信号を私は信じたい。しかしはたして真実とはなんだろう? 電気信号が真実だと言えるのだろうか?

私の頭の中はいつも大渋滞でぐちゃぐちゃだ。実はこの「好奇心」の話は前置きで、この後に寿司とミントティーとパクチーについての軽妙洒脱なエッセイを書こうと思っていたのに(軽妙洒脱なエッセイなんて書けるのかよ)、前置きが長くなりすぎて力尽きたので今日はこれでおしまい。脳トレ脳トレ。

(※脳科学の本を読んでいると、所詮はすべて電気信号で、究極な話、脳に電極をぶっ刺して適当な電波を送っていればそれだけで人間って幸せになれるんだな、だとすると今のこの俗世の生活ってなんなんだろうという気がしてきて、ペシミストが進行してしまう。)

(※あと、脳科学を突き詰めていくと仏教の教えに近付いていくような感覚があって、ブッダすげ〜と貧困なボキャブラリの中で思う。)


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