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信仰に至る

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赦された罪人

洗礼は過去現在未来の罪を赦す
私はそれで救われた
私は罪人であるまま神に赦された
この「赦された」という感覚が私には大きい。
だからもう罪を犯したくない
真っ当な人生を送りたい

これを予定説で救われた側だと説明されるのと
救われたのだから聖化していきなさいと説明されるのでは違ってくる。


予定説は、他力的だが
聖化は、自力的だ。

過去の罪はもう取り返しがつかない。
常に心に引っかかるのは罪

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二重予定説はキリスト教国だったら納得いくけれど
日本のように信徒が少ない国ではピンと来ない気がしてきた。
たぶん、カトリックとの争いがその思想に作用したようにも思う。
聖化は義認の後に起こるから、カトリック的ではない。
現に神学校生活をしている中で祈りが豊かになったように思う

善を行うには悪を知らなければならないのか?
どこまでの悪を知れば善が行えるのか?
例えばタバコはもはや市民権を失ったが依存する前に一口二口吸ってもいいのか
禁酒が正義なのか?
善悪は実は環境によって変わる
善を善とし悪を悪とするコミュニティの価値観によって聖化されるのかもしれない

義認
新生
聖化
確証

義認のない聖化はない。

まず、神の方から恵みを与えている。
それを選び取るかは自由である。
私たちは良心を持つ。
善を善とし、悪を悪とする。
前者を選ぶなら私たちは聖化してゆく。
だからこそ、伝道が必要になる。
神の方が先に私たちに恵みを与えている。
それがイエスキリストの十字架と復活なのだろう。