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[没落の先へ] 家族が道をはずしてしまうまで 

初めまして、ちょっぷりんです。
私は少し変わった環境で育った気がしますのでその体験を書いてみようかと思います。
自分の承認欲求ではありません。人にはそれぞれ多種多様な過去や体験があると思います。
私の目的はなかなか人に共感されず生きづらさを感じてる人がより生きやすい社会になる事です。少しでも、社会に何か伝える事ができれば幸いです。

私は関西地方で育ちました。生まれたのは九州のとあるど田舎。母の里帰り出産でした。母は私を産んだ時に出血が酷く、命の危険があったようですがなんとか一命を取り留めたらしいです。その後、すぐに父の仕事の関係で関東で暮らし始めます。
当時は3歳上の姉と私でしたが関東で暮らしている間に2歳下の妹が誕生しました。
この頃の記憶は地震が多くよく揺れてたなぁぐらいのものでほとんど思い出はありません。
3歳ごろまでは関東で育ち、その後父の実家のある関西で父の両親、私たち家族の二世帯での生活となりました。
私はその後19歳になるまで関西で育ちます。

まず、父の紹介をします。
父は幼少期から非常に頭の良い方だったようです。大学受験の勉強はせず毎日雀荘に通い麻雀ばかりやっていたようですがそれでも関関同立や国公立の相当レベルの高い大学に合格したそうです。現在は70代ですが、頭の回転は未だに衰えておらず、人の心を掴む話術にも優れています。また、数字にもかなり強く私もその父の能力を受け継げていたらと羨ましくなります。
就職先は政府の事業を請負う仕事をしていた様で国家資格も取得し、かなりの高待遇で将来も安泰な企業に勤めていたと聞いております。

私が生まれたのは1984年。この年がバブル絶頂期なのか絶頂になる直前なのかもよく分かりませんがメディアやこれまでの経験から景気がかなり良い時代なのだろうと推測できます。
その年すぐに関西から関東への転勤が決まり、父と母と姉と私の4人で関東へと引越しました。
関東への転勤とは父の会社では出世街道に乗るエリートの道で栄転そのものだった様です。
そこで、妹も生まれ3人兄弟となりました。その後、数年間家族5人で関東で暮らします。この関東での暮らしが父を変えてしまうきっかけとなりました。

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