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高峰秀子「銀座カンカン娘」をSP盤と蓄音機で聴く

はじめにカンカンありき

1949年(昭和24年4月)に発売された「銀座カンカン娘」というレコードが、服部良一作曲、佐伯孝夫作詞、そして歌は高峰秀子。この曲は映画の主題歌としてスタートします。映画タイトル「銀座カンカン娘」が先行に、その主題歌の作曲を服部良一は依頼されます。そこからこの物語が始まるのですが、まずは当時のSP盤で「銀座カンカン娘」を。

レコード品番"V-40256(P-1453)"。録音ママ無加工、マイク位置はフタ上約30cm。蓄音機は日本コロムビア製No.250、サウンドボックスは9番で鉄針ママ(針圧無調整)。盤良好です。

カンカン娘の意味

この"カンカン娘"の"カンカン"ですが、そもそもは(映画タイトルに於いては)、山本嘉次郎(脚本)による造語とされています。その由来云々はともかく、楽曲総体で捉えると(作詞は実質、佐伯孝夫と服部良一との共同作業)、現代的には"イケイケな娘"ではないかと。で、この"カンカン娘"に意味はありません。

この作品にまつわる山本嘉次郎の文言を意訳すると「自分にもわからない、でも調子の良いフレーズでしょう...であります。これは服部良一が山本嘉次郎から直に聞いた話で、また佐伯孝夫も意味は知らなかったと述べています。エビデンスは服部良一著「ぼくの音楽人生」ですが、他の古い文献に於いても当時の関係者の証言が一致しています。

(Wikipediaには"カンカンに怒っている"とありますが、あの説は怪しい。おそらく一種の戦後左翼史観? はたまた女性コンプレックスの現れか? なんにせよ外娼にまつわる史実的な経緯をふまえれば、"怒っている"という言葉は出てこないはず)

後述しますが、プロモーションとして"カンカン娘コンテスト"が行われる運びとなり、そこで問い合わせが殺到。それは「カンカン娘とはなんぞや? というもの。返答に詰まった主催者側の回答は、これも意訳すると「映画を見ればわかる、また、曲に歌われている云々...。要は、察していただければと...。

ただ、少なくとも当初、山本嘉次郎は、パンパンとみなされるかのような表現は避けて欲しいという意向を服部良一に伝えてもいます。しかし戦後史研究では(欧米の研究家に於いては)カンカン=パンパン的(GI相手の)とされているようです(例えば作家Deborah Shamoonによる考察、また歴史学者John W.Dower著「敗北を抱きしめて」も参照されたし)。

作曲に際して佐伯孝夫と服部良一はリサーチにも出向いたそうで(その具体像を捉えるために)、が、占領下にカオスな当時の銀座では、GIが連れ歩く派手な洋装の女子が目立っていたそうです。ちなみに当時、最初期(占領下)には「銀座カンカン娘」は単に「GINZA GIRL」とも表記されていました(Victor盤MJ-1)。

カンカン娘コンテスト

正確には「ミス・カンカン娘募集(ミス・銀座カンカン)」で、応募要項は、高峰秀子に似ている、銀座在住もしくは勤めている、そして未婚者。審査委員は高峰秀子を筆頭に映画&レコード関係者。時期は49年の夏(映画公開と同時期)。会場は、おそらく銀座不二越ビル前付近(後年、森永地球儀ネオンで知られる)。

応募者500名、観客数千で、4丁目-5丁目まで女子で埋まったとされおり(道路封鎖でしょうか?)、森永のショーウインドーが割れるほどの騒ぎだったそうです。そして女性陣によるパレードも行われたのですが(歌ママに赤いブラウス&サンダルの扮装で、カンカン娘のプラカードを掲げ練り歩く)、後に、栄えある優勝者は実は二児の母親であったことが判明します。エビデンスは上山敬三著「日本の流行歌」で、氏は当日、審査員の一人として参加。

ステッキガールの都市伝説

山本嘉次郎と服部良一とのやり取りに戻り、まず"銀座カンカン娘"という言葉のみが山本嘉次郎のアイディアとして。そして服部良一は作曲に際し、その解釈を山本嘉次郎に確認、すると"わからない"という返答が。逆に、曲完成の後、そこからキャラクターを構築する云々(まあ、あべこべなんですが、そこが山本嘉次郎のユニークな点?)。

要は、銀座のカンカン娘という架空の女子が一人歩きを始める。まるでそんな子が銀座にはいるかのように。前述、コンテストに際しても、問い合わせた側にしてみれば、なんらかの具体像があると思い込んでいたのでしょう。つまり簡単&端的には銀座を舞台とする、いわば都市伝説ではあるまいかと。

これには先例が、それが銀座の"ステッキガール"です。簡単には"デート嬢"で、どこからともなく現れては紳士のお供をするとされる。もちろんフェイク=架空の存在(少なくとも当初は)。そんな子はいないのですが、それを探し求めて銀座に通い始める者までが。戦前、昭和初頭の話ですが、その仕掛人、ステッキガールという言葉の発明者、新居格説(作家&政治家)と大宅壮一説(作家&評論家)との二説が知られています。