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寝食を忘れる『プロジェクト・ヘイル・メアリー』ネタバレ感想

【注意】この感想文には重大なネタバレが多数含まれています。未読の方は今すぐ引き返し、私をブロックしてください。
 
前作の『アルテミス』に少し手こずり(つまり、読了していない)、やはり『火星の人』は傑出していた、との思いを新たにしたものだが、未読了で積読するのは別に珍しい話でもない。読むことが義務になってしまうのは不幸な読書だ。
ということで、遠慮なく『プロジェクト・ヘイル・メアリー』に手を出した。
『火星の人』はオールド風味でありながらしっかりとアップデートされた宇宙SFの知的興奮に満ちており、何よりも人物造形が最高だった。マーク・ワトニーはあらゆる絶望的状況において思考することを止めない。科学的アプローチで降りかかる数々の困難を克服していく姿に、しかも常にユーモア精神を忘れずに立ち向かう姿に快哉を上げたものだ。
そうでもなきゃやってられない、ということはあるかもしれないが。無論、絶望的状況は変わりないのだが、立ち止まらない立ち向かうという姿勢は、真に健康な精神状態かもしれない。
これぞ、オールドアメリカンボーイの開拓精神。
この性向はやはり作者に拠るところ大と見るべきだろう。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』における、ライランド・グレースはまた、マークの精神的な兄弟である。
実は上巻の前半まで、彼は自身の記憶もなく、また何処にいるのかも判らない記憶喪失状態で目覚めることになる。
室内には誰だか判らない2人の遺体。目覚めたのは1人自分だけ。
目覚めた室内の重力の異常に気付くことから、自身は科学的知識に明るい事に気付き、やがて彼は過去の自分を少しずつ再発見し、また目覚めたのが太陽系を遥か離れたタウ星系であることに気がつく。
2人の遺体は彼の同乗者で、彼は恒星間宇宙船内でたった1人の生き残りであった。
物語は過去パートと現在パートを織りなすことで、彼はなぜはるばるタウまで旅をしてきたのか明かされていく。
地球は太陽光の現象により危機的状況にあり、その原因であるアストロファージの謎を解明しなければならない。グレースはその任を負っていた。
たった1人、別の恒星系で。
この状況は、ワトニーを凌ぐと言えるだろう。ワトニーは地球に帰るのを最終目標に「生き延びる」事が目標であった。
一方のグレースは、たった1人で謎を解明し人類を救う、帰還の当てはないカミカゼ・ミッション。彼が死ねば人類は滅亡するのだが、例え人類が生き延びても、彼は死ぬのだ。残酷なことに、燃料は片道分しか搭載されていない。いずれにしてもグレースは寿命を全うできずに遠からず死ぬ運命なのだ。
大義といえば大義ではある。
かつての古典的SFであるなら、主人公に迷いは無いだろう。キャラクターの中に屈託は無く、大義のために己が命を捧げて永遠の眠りにつくかもしれない。
しかしグレースはアップデートされた現代人の、等身大のキャラクターであり、帰れないという絶望は拭い難い。
モチベーションをどう扱うか、という暗い話になるのかと思えばあにはからんや。作者の巧みさは、ここで隠された大仕掛けを披露する(この時、私は幸いにも電子書籍で読んでいたので、帯情報や未購入の下巻の解説は目にしておらず、それが幸いした。ディザスターの類型と思っていたら、まさかの、である)。
この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、ここからファースト・コンタクト物でもあった正体を明らかにする。
『復活の日』を読んでるのかと思ったら『星を継ぐ者』だったよ、おい、みたいな。でっかいテーマにでっかいテーマをぶつけてきた、この構成の妙よ。タウ星系で、グレースは異星の舟を発見するのだ。 
ここで知的興趣は最大風速となる。
もはや人類は孤独でもなく、グレースもまた孤独ではない事を発見する。
グレースの心理を追えば、この物語は暗い通奏低音が続く。彼はいずれにしても、死と向き合う瞬間がくるはずであり、それを意識せずにはいられないだろう。そこへ現れた隣人の存在は、表面上は前進するための起爆剤となる。
ファースト・コンタクト物といえば、既出のクラーク『宇宙のランデブー』なり、『幼年期の終わり』なり、セーガンの『コンタクト』といった作品を思い出すのだが、いずれも正体不明で神の如き高度な知能を持つパターンもあるが、より具体的な姿で現れるホーガンの『星を継ぐ者』『造物主の掟』などといったパターンもある。
『ヘイル・メアリー』では後者。
隣人はエリダヌスからタウ星系へと旅をしてきたエリディアンの“ロッキー”と、グレースは名付ける。
このロッキーのキャラクター造形が良いのよ。彼もまたアンディ・ウィアーの被造物であり、前向きでひたむきで、科学の徒であるエンジニアである。既視感のあるキャラクターだな、と思ったのだが、蜘蛛のような造形で思い出したのが、ピアズ・アンソニー『ルーグナ城の秘密』のハエトリグモのジャンバーであった。紳士で大人でフェアな好人物の彼を彷彿とさせる。
ファースト・コンタクト物で、何故人類と異星人が遭遇するのか、という問題には偶然以上の解は無いと勝手に思っていたのだが、この作品は非常にスマートな解決を提示する。
これしかない、とさえ思えるのだが、つまり何らかの問題がそれぞれの星系で発生し、その問題の中心はとある星系にあるのではないか、と推測出来る程度の知的段階で、かつ自分たちで解決出来ない程度であるなら、それぞれがそこを目指して解決法を探るために旅をしてきて、やがて邂逅するのは自然かつ当然の帰結ではないか。
そこまで読むと、作者の狙いは元々ファースト・コンタクト物を描くことであったのだろう、と察しがつく。何故出会うのか?それは共通の問題が、同時期に発生したからだ。
その仕掛けのためのアストロファージであったのだろう。
紆余曲折を経て、異星の友と協力しあいついにアストロファージの退治法を見つけ出す2人。
相棒としてそれぞれを補い、協力する姿は『火星の人』には無かった、新たな感慨が押し寄せてくる。良いやつなんだよロッキーが。
物語はいよいよ2人の別れへと向かう。
ロッキーの協力でヘイル・メアリーは地球に帰還可能となり、互いにそれぞれの星系へと帰還することになるのだが、そこはアンディ・ウィアーである。またぞろドラブルが発生し、グレーズは異星の友のために引き返す決心をする。彼には地球に解決法を伝達する方法が元々有り(片道の旅であったのだから、それは当然である)、それを使えば良いだけの話だったのだ。
ここからの展開の胸の熱さよ。
やがて彼は教師とし波乱に満ちた、それでも平穏な日々を取り戻し、人類もまた平穏を取り戻したことを、遥かな異星で知ることになるのである。
もう傑作としか言いようがない。こんな良作にはそうそう巡り会えない。読むべし。




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