アラサーJKの1年間

昨年度、晴れて憧れ?目標だったJKになり、今は2年生。
夏休みでようやくゆっくりした時間が取れるので、とりあえず去年のことを振り返ってみる。
ちなみに私が通学しているのは、三部定時制高校というもの。
午前、午後、夜間の時間帯に必修の授業があり、それ以外の時間は自由選択科目や部活などで過ごす。
一部生と二部生は基本的に最終下校時間は17時。
一斉登校日というものもあるので、長期休みの前の数日間などは集会や大掃除など、変則的な時間割りになる。

四月から六月は、アルバイトもしていたので、なんだかバタバタしていて学校生活に慣れるよりも、とりあえず日々の生活を送るのでいっぱいいっぱい。
結果アルバイトは辞めて(一般就労を勝手にしたので主治医からはとても怒られた)学校生活に馴染めた頃には七月くらいだった。
一年生の時は午前中だけの授業だったので、午後はいつもデイケアへ通っていた。
うちのクラスは、様々な事情を持ちながら入学してきた子がほとんどなので(チャレンジ枠という)発達障害の人もいれば、不登校が続いたため高校になってもなかなか来られない人、体調が悪い人、色んな人がいる。
だからなのか、早い段階で私が年齢のことをカミングアウトしても、普通に接してくれていたし、デイケアへ行っていることも、何してるの?とかどんな人がいるの?などの質問はあっても、からかわれたりする事はなかった。
それはとても嬉しいことで、私がみんなと同じ高校生でいられる場所という意味では、この学校に入って良かったと思う。
先生も同じように、私を1人の生徒として接してくれている(本来とてもやりにくいような気がするけれど)。みんなと同じように苗字で呼び捨て、ただ年齢の話はバレても構わないので、授業中にジェネレーションギャップのある話をぶっ込んでくる面白い先生もいる(笑)
いいとものタモさんの拍手をしてからの例のくだりをしても、私以外クラスの人達はポカーンとしていて「え、これ通じないの?」「え、知らない?」と先生と一緒にみんなに説明したこともある(結果通じなかった)。
今のタモさんはMステとかだし、いいとものみ許可されたものだから、やらないのかーと後々気づいたが。

年齢差で驚いた事は、楽しいことばかりでもない。
 科学の授業で地震の仕組みについて勉強していた時、東日本大震災の津波のドキュメンタリーを見ることになった。
 彼らは当時4歳とかそのくらいだろうけれど、私は21歳で当時は入院中だった。入院先の病院に福島の老人ホームからお年寄りが避難してきたり、計画停電がある中で余震が続いたり、毎日のように流れるテレビも報道一色で心中穏やかとは言えない状況だった。
なので今でも地震がくると怖くて仕方ないし、なるべくあの頃の映像は見たくない。
担当の先生は無理に見ないでいい、辛ければ教室を出て相談室などに行って良いと始まる前に全員に言ってくれたので、私はオープニングが始まるや否や、即座に教室から逃げた。
教室の近くの階段から相談室に行くまで、泣くのを堪えきれず、相談室に入ると中にいた先生に泣きついた。
他にも後から数人来たけれど、後の人達はリアルな実感というものは薄かったようで、やばかったなどの声は聞かれたが、そういうジェネレーションギャップもあるのかと、よく風化させないという言葉はあるのに、つい10年近く前の事でもここまで感じ方に差が出てしまうのは、いくら経験者が伝えても難しい面もあるのかなと思った。

遠足というものがある。コロナ禍でずっと近場だったらしいが、私達の年度からは少し遠出も可能になったらしい。
某遊園地へ行ったが、結構面白かった。他クラスの人とも授業で交流があったり、同じフロアなので話したりするから、何人かは見かけると話す関係だった。
意外にもクラスが同じでも普段大人しくて静かな子が絶叫系が好きだったり、クレーンゲームでぬいぐるみを沢山取っていた男子もいた。
体育祭はないが、似たような感じのものは一学期にある。
文化祭はあるが私は昨年度、コロナ疑惑になり準備期間のみ動いて文化祭の開催日は行けないとても悲しい年になった。

生活も少しづつ安定してきて、デイケアに行く日も週に一日で良いと許可も出たので、三学期くらいには学校で過ごす時間がとても増えた。
相談室や図書室、自習室で過ごしたり、部活動も始めた。
体験入部の日、必修で見てもらっていた音楽の先生がやっと来たーと言って(前々から入って欲しいと担任の先生に言っていたらしい)、ホルンを渡された。
内心18年もブランクがあるのにまともに吹けないだろうと思ったが、案外音はまともに出るもので、体験入部なのにそのまま合奏に参加することになった。
譜面も音は読めるのでたどたどしいながらも演奏し、これは体験入部ではないだろ?と思いつつ、久しぶりの演奏はとても楽しかった。
ちなみに学校にあったホルンはダブル管で、B管が借りられたのは2年生になってから。
なので一ヶ月程度で8曲の譜読みをして、定期演奏会に参加することが出来たけれど、腱鞘炎になってしまった(笑)
今はYouTubeなどで譜面のメーカーと曲を検索してくればすぐに聞けるので、譜面単独で譜読みが出来ない私にはとてもありがたい時代になった。

制服で失敗したなぁと今更思うのが、夏用のスカートを買わなかったこと。
デザインは冬服と同じだし、そこまで着ないだろうと思っていたけど、今年の夏のように殺人級の暑さでは分厚い生地の冬服のスカートは拷問。
でも今から何万も払って買うか、決め兼ねる。
ローファーは履いているうちに二足壊れたので、一時期は革素材にみえるスニーカーのような靴を履いていたけれど、結局先輩から進路活動の際にローファーは必須になるので慣れた方がいいと言われて、再度購入。
逆に体育の授業が週に一回しかないので、洗い替えとして購入したジャージ1組はほとんど使っていない。
ノートを使う授業も少なく、だいたいプリント。置き勉が基本。
ちなみに中間テストと期末テストの間が短いので、一学期二学期は勉強も忙しい。
テストの成績よりも、授業に出席しているか、提出物の期限を守っているかなど、日頃の授業の取り組みが成績に反映されるため、授業を休みがちになると成績は下がってしまう。

英検と漢検を取りたいと思って、2年生から勉強を始めた。
進路も当初は福祉系を考えていたが、進路活動の授業を受けるうちに、保育士になりたいと思って、オープンキャンパスに行ったりしている。
また時間があれば、学校生活について書きたいと思う。

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