遺品整理
人の一生を終わらせる片付けは気が重いものですが、片付けをしているとその人の生き方がよくみえてきます。
2年くらい前に亡き義父の遺品整理をしていた時のことです。
義父は私の実母の連れ合いでしたが、私の実母は私が11歳の時に家を出たので大人になって再会するまでは会えておらず、私の知らない空白の時間があります。
私は訳あって実母が亡くなる頃に、成人していた娘たちと義父と一緒に暮らすことになりました。
私の中では複雑な思いがあり、当初は様々な心の葛藤はあったものの、長い間に実の親以上にお世話になった人でした。
片付けをしていると遺品の中から実母の昔の写真が出てきたりして、私の知らない母の一面をみることになりました。
母亡き後、15年以上の歳月が流れていますが、私は母の兄であった伯父も看とることになったので、伯父から母の幼い頃の話や祖父母の話まで聞くことになりました。
義父からは母が家を出てからの話を聞いていましたが、私は母の記憶がほとんどないのでそれを繋ぎ合わせて自分なりに母の生き方をイメージして母の死を受け入れるよう努力していました。
義父が亡くなったことで義父からみた母の存在がクローズアップされ、母なのに母ではない存在。
そして義父なのにそれ以上の存在であったことに気づかされていきました。
遺品の中から一冊の本が出てきました。
著者のところに母の名前が書かれていて母が本を出していたのかと一瞬驚きましたが、開いてみると中は白紙で、どうやら母は晩年に自分史を書こうとしていたようでしたが、思いを遂げることなく人生を終えてしまったようです。
私はそんなことは全く知らず、母亡き後に自分史を書いていました。
それは両親亡き後に私が両親の人生を何も知らなかったことに気づいたからでした。
私と母とは潜在的にやはり似たところがあるのか、誰に教わるでもなく自然に身につけてきた習い事等が幾つかあったことにも驚きました。
そしてもう一冊出てきた日記帳のようなもの。
これも中はほとんど白紙の状態でしたが、表と裏に1ページずつだけ書かれていた文字がめに止まりました。
それは少しクセのある私の文字としか思えず、けれどもその内容に記憶が有るような無いような。
母は習字をやっていたのでこんな字を書くはずがないと思いながらも明らかに私が書かない略字があり、それが私の字なのか母の字なのか、どうしてもわからないのです。
こんなことってあるんですね。
私の記憶が曖昧なだけなのか、
何かあちら側の世界から時空を超えて私に伝えたいことがあるのか…、
漠然と思いを巡らしたりしていましたが、いまは、深く考えず
目の前にある現実をただそのまま受け止めてみようと思います。
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