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一推し! 旧野首教会

 キリシタン関連の世界遺産の中で、最初に紹介すべきは、大浦天主堂か、原城趾あたりだろう。大浦天主堂は堂々とした外観や内部の厳かな美しさに目を見張る教会であり、原城趾はキリシタン弾圧における悲惨な戦いの地だからだ。
 しかし、私としては最初に、旧野首教会を紹介しておきたい。その理由は、言葉にうまく表現できないほど心を動かされたから。しかし、何に心を動かされたのかを説明することは難しく、うまく表現できない。

 一般的な説明は、他の関連サイトにお任せします。
https://this.kiji.is/317932252234138721
http://kirishitan.jp/

 小値賀島から小さめの船に乗り換えて野崎島に向かう。旧野首教会は野崎島の中央付近のくびれた高台に建っていて、船からその姿を見ることができる。

船から見た旧野首教会


 野崎島の南端を回って、東側の野崎港に船は向かうが、その途中でも教会を望むことができる。くびれた地面と青い空(残念ながら訪れた当日は重苦しい雲)に挟まれてつぶされそな感じにも思える。

 野崎港で船をおり、整備されているとは言い難い山道を三十分ほど歩くと、野崎島唯一の宿泊施設である自然学塾村に到着する。天主堂はそのすぐそばの少し高台に建っている。

自然学塾村の”庭”から見た旧野首教会

野首集落にはその二つ以外の建物は残っていない。自然学塾から見上げる教会は、まさに神々しく、荘厳であり、威風堂々としており、崇高であり・・・、適確な言葉が思いつかない。

 野崎島に住民はいない。昭和46(1971)年に全ての島民が島を離れてしまったとのこと。自然学塾村には塾長が常駐しているが、野崎島生まれではないとのことだし、潜伏キリシタンの末裔でもないとのことだった。ということは、野首教会の信者はいないということ。だから旧野首教会と呼ばれる。信者のいない教会、これほど悲しい存在も世の中にないのじゃないかと思う。天主堂の姿を見ると「俺はここにいる」と主張しているように思われるが、現実には自分の悲しい運命に抗うことができなかったのだ。
 通常、教会内部は信仰の場であるので、信者がいる教会では撮影が許されていない。しかし旧野首教会では、有り難いことに内部の写真撮影も許されている。信者がいないにもかかわらず、今でも天主堂の外側も内部も綺麗に保たれていることに驚く。関係者の方々の努力と献身に敬意を表する。
(大変にありがとうございます。<(_ _)>)

 通りすがりの異邦人として、生まれ故郷とその周辺を散策するために少し観光気分でやってきたのが本音。しかし天主堂を目の前にすると、そんな浮かれ気分を打ち砕かれる。日本の西の果ての小さな島々、その中のさらに小さな離島に、こんな素敵な天主堂が、誇らしげに建っていることがとても素晴らしいと思うし、同時に悲しくも思われる。

 誰もいない島に建つ旧野首教会は、まさに『孤高の天主堂』であるのだろう。

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