生きることの必然と偶然

この世の中に生まれたことが、
全て偶然の産物で因果のみで成り立つ世界だとしたら、
死は完全な無と等しい。
そして、生もその原因と結果だけで成り立っている
たんなる営みの連続ということになる。

そのように生を捉えると、
いま生きていることが非常に空虚に感じる。
死ぬことへの恐怖というより、死への虚しさ、
死後の世界への虚しさだけが残る。なにせただの無なのだから。

神はいるのかは分からない。
ただ、この世の中を創造した「なにものか」がいて、
その中にこの私が存在する「意味」があるのだろうと
信じたいと思う気持ちは、よく分かる。

だが、大切なことは、
神はいるのかいないのかわからなければ、そして
私がこの世の中に存在する「意味」があるのかないのかわからなければ、

「あるかもしれない」と信じて生きたほうが、
世の中がすこし色づいて見える気がするんだ。

そして、今はいなくなったあの人も、
今二度と話せないあの人も、自分の中では生きている。


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