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"自転車に乗る"ということ

2024年1月最後の金曜日、フライブルクで時刻が18時を回ろうとする頃、
とある"交通問題に高い関心を持つ人々が集う会"の最後に誰かが、
ーじゃあ、これからクリティカルマスだ。市立劇場前に集合。
とアナウンスした。

その前日、同僚が運転するには小型な会社の電気自動車の車内で、最近、また1人の自転車利用者が道路交通の犠牲となったこと、明日のクリティカルマスではゴーストバイクが現場に置かれる予定であることを聞いていた私には、少し控えめなアナウンスに思えた。外に出ると、予報によれば止んでいるはずだった雨が勢いを増しており、一旦躊躇するも、さほど離れていない劇場前までとりあえず行ってみることにした。

到着するとそこには結構な人が既に集まっていた。その数は、同じような天候だった11月より余程多く、出発までしばし雨から逃れようと軒下に移動すると、そこから白く塗られたゴーストバイクがあることを確認できた。これが、雨でも参加者が多い理由なのだろうと悟った。警察が車で来ているのはデモ申請されただからだろうか。そんなことを同じく雨宿りに来た人と話し、さらに強さを増した雨にひるんでいると先頭が出発するのが見えた。電話で仲間に状況を話し始めたその人に、
ー私、行くわ。
と伝え、また雨に濡れながら坂を下り、大勢の後方に加わろうとした。

フライブルクのクリティカルマスは毎月最後の金曜日、市立劇場前に18時集合
白く塗られたゴーストバイクが横たわった状態であることが電灯に照らされてわかる
右手の方。これくらいの雨なら帰る人が出てもおかしくないのに、誰も帰る動きを見せない
警察の車が2、3台来ていた

すると、暗がりのなか馴染みのある自転車フレームが目に入った。
ーこれはこれは"素敵な自転車"にお乗りでー
ーそちらさんも"なんと素晴らしい自転車"にお乗りでー
そんなブロンプトン乗り同士の定型挨拶を交わし、私はその人の横に並んでクリティカルマスの一部と化した。

その人も私と同様、衝突の詳細は確認していないようだった。まずはその現場に向かっているのだろうという認識を共有しながら、その人が着ている防水加工がしっかりされていそうなジャケットの話や、自分たちが乗っているブロンプトンに辿り着くまでの話をした。私たちの話が弾んだのは、それぞれ200ユーロ台の折り畳み自転車から始め、2台の中古のブロンプトンを近い値段で買い、そのうちの両方か1台を盗まれたという非常に似たストーリーを持っているとわかったからだろう。なんだか距離さえ近づいた気がした私は、クリティカルマス歴がまだ浅いらしい彼の質問にできる限り丁寧に答えた。

現場に着くと、そこは私が去年4カ月ほど住んでいた場所のすぐ近くで毎日通っていたところだった。オーガナイズをしたらしい人のマイクのボリュームはいいが、その人が伝えようとすることは生憎ほとんど理解できる形で耳に届かず、それは辺りの人も同じようだった。ただそこにいる人の多くは、こうした現場を心得ているように思えた。警察の車が道路の前後を封鎖し、誰かが皆道路上に出るように促すと、どこからともなく次の声が聞こえてきて、その声は大きく重なっていった。

"Whose Streets?" - "Our Streets!"
(道は誰のもの?私たちのもの!)
"Was ich gerne hätte?" - "Autofreie Städte!" 
(私がほしいのは?カーフリーなまち!)
"Wem gehört die Straße?" - "Uns gehört die Staße!"
(道は誰のもの?私たちのもの!)
"Wem gehört die Stadt?" - "Uns gehört die Stadt!"
(まちは誰のもの?私たちのもの!)
"Verkehrswende" - "Jetzt, Jetzt, Jetzt!"
(交通シフトを、今、今、今!)

集合場所で雨宿りをしながら話していた人も、これらのうちのひとつのチャントを始めていたのが見えた。 誰かが自転車のベルを鳴らせば皆鳴らし、誰かと眼が合えばやさしい表情を互いに送り合った。私たちは、誰かが最近人生を終わらさせられた場所で、その入り混じる想いと時間を共有し、1分間の黙祷を道路交通の犠牲者に捧げた。

一部の市民有志が準備したらしい白く塗られたゴーストバイク
毎年5月に世界各地で行われる"Ride of Silence"はフライブルクでも行われる
設置は完全に行われず、警察がエスコートする"デモ"という形態はここで終了
クリティカルマスは続くことが伝えられ、人々はまたペダルを漕ぎ始めた
心理的負担を和らげるかのように、手をつないで走るふたり

現場を後にした私たちは、中央駅からそう遠くはない幹線道路を北へ向かって走った。やはりその現場までは走ろうと思っていた人が多かったのか、離脱していく人々が相次いだ。それでも私たちはある程度大きな集団という体裁をキープしたまま、どこかのポイントで折り返し、集合場所に戻ることを目指して走り続けた。

先ほどの現場ではほとんど話さなかったが、前出のブロンプトンくんと私は自転車を漕ぎながらずっと話し続けた。道路交通規則27条で15人以上の自転車利用者は一つの集団と見なされ、信号が赤に変わってもまとまって交差点を通過できること、その際の安全性を高めるために"コルク"をして、他の交通参加者の交差点侵入を防ぐ措置が行われることなど、クリティカルマスの基礎的なことも解説すると、彼はスポンジのように聞いてくれた。

気がつけばほぼ先頭に。ちょうど「クリティカルマス 道路交通規則27条」
と書いた黄色いベストを着た人がいたのであれだよとブロンプトンくんに伝達

フライブルクの自転車インフラってどう思う?と問われれば、ドイツのまちのなかではいい方だとは思うけれど、幹線道路の交差点手前で2本の車線に挟まれる自転車レーンや、ランドアバウト手前で消えるような自転車レーンが新設されることに落胆すると話すと、同感してくれた。また"構造的な分離"を私が何度か連発すると、まだ馴染みのなかったらしいそのフレーズを彼は気に入ったようだった。

先進的な自転車インフラ整備が進む都市の話もした。フランクフルトで自転車レーンが新設されるときはドアゾーンが考慮されること、ニューヨークでタイムズスクエアのカーフリー化やパーキング・プロテクティッド・バイクレーンの導入など大きな変化があったこと、パリのこと、そしてスウェーデンなどで自動車ロビーの影を薄く感じることなどなど。

曲がる角をあと一つ残した頃、歩道から身を乗り出して
ー君たち何してるの?
(Was macht ihr?)
と、大きめの声で子供がこちらに質問を飛ばしてきた。
ークリティカルマス、自転車に乗ってるんだよ。
(Critical Mass, "Fahrradfahren")
と、私は即座に答えた。いつか誰かがした回答を真似るように。
"Fahrradfahren??" という混乱混じりの遠のく声を拾うと、横でブロンプトンくんが、
ー正しい回答だよね。
(Das ist eine richtige Antwort.)
と同調してくれた。いつか私が誰かにそう言ったように。

そう、私たちはただ、一番前を走る誰かに付いて、道路交通規則に則って、皆で一緒に走っているだけなのだ。
そしてその間に、同じメーカーの自転車愛好者と話をし盗難という痛みを分かち合い、自分だったかもしれない誰かの死を初めて会う人と共に弔い、自分たちが暮らすまちの自転車インフラについて意見と問題を共有し、他の自転車都市のインフラ整備状況について情報交換し合うのだ。
ものの90分くらいの間にである。これができるのがクリティカルマスというフォーマットなのである。

市立劇場前に戻った私たちは、その前にある広場に弧を描くように入りそこを何周も回った。その様子を撮るために輪からずれた私は、いくつかデータに収めると、ブロンプトンくんを探した。回り続けていた彼を見つけ、
ーそろそろ私は帰るよ、あなたと話せてよかった。ところでお名前は?
ーヨシュア(仮名)だよ、英語だとジョシュア
と言葉を交わし、私も名乗ったのち、
ーじゃあまた次回にね!
と顔に笑みを乗せたまま、帰路についたのであった。

いつのまにか雨はすっかり上がり、濡れた地面に反射したライトがきれいだった


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