つられ笑い劣等感抱え抱えマン

ここ最近で笑ったことを思い出そうとすると、何で笑ったか思い出せない。なんで笑ったことを思い出そうと思ったかというと、一度コントを作ってみたくなったからだ。自分は学生時代に演劇を行なっていて気の合う仲間とコメディをやっている時がすごく楽しかったのに、そういえば自分が脚本を書いて上演したことはなかったなと思ったからである。一緒につるんでいた友達はみんな脚本を書いてきたり、コントを書いてきたりしたことがあり、それは身内贔屓かもしれないが面白かった。その時から、自分は面白いことが生みだせない、彼らよりも面白くない、そんな劣等感があった。自分だって考えれば書けると思った時期もあったけど、結局一行も書けなかった。書こうとして、笑ったこと面白かったことって何かあったかなと考え、そこで止まってしまい何も出てこないのだ。自分が思っている面白いことを言語化できない奴が、ましてや面白かったことを覚えていない奴が面白いことを考えつくはずもない。

そこで自己嫌悪が始まってしまいそうになったので、切り替える意味も込めて、集中して笑っていたことを思い出してみる。ここ最近で思い出せることはなかったけど、時間をかけたらポツポツと笑っていたことを思い出してきた。すると気が付いたのだが、どの時も自分が最初に笑い出すというよりも、誰かが笑った後に自分が笑っていたということが共通している気がした。この共通点はなんなのかと考えると、つまり自分には「この基準を超えたら笑う」というような定規がなかったんじゃないかと思い至った。どういうことかというと、

何かコトが起こる

→笑えるかどうかの基準が自分はわからないから、他の人が笑えるかどうかを見回す

→他の人が笑う

→これは笑えることなんだと判断する

→自分も笑う

という構造なのだ。笑いの判断軸を持っていないが故の他者への依存。

あまり気づきたくなかったことである。

無意識にコントや漫才や芸人のラジオを漁るようにみてしまうのは、薄々自分でも気づいていたからなんじゃないだろうか。そしてピース又吉とかオードリー若林が好きなのって、暗そうな人でも面白いことを生み出せることを証明してくれているような気がして、勇気をもらえて、参考になりそうだったからじゃないだろうか。

またさらに辛いのは周りから自分は陽キャだと思われていたりするところだ。仕事や日常生活を送る上で、自分で言うのもなんだが、人当たりは良い方だと思う。スポーツも長いことやっていたし、仕事もそれなりに要領よくできている方だと思う。なので表面と内面が少しギャップがあるのだ。あくまで主観的ではあるが。

スポーツをやっていた頃はあまり意識することはなかった。それに目標があると打ち込む性格なので、スポーツをすることに対しては向いていたのかもしれない。また、勉強や仕事に関しても同じことが言えそうである。でも自分は面白いと思われたい人たちに出会ってしまった。その人たちに認められたいと思ってしまった。そこから自分の内面に気づき、勝手な劣等感を育んでしまったのかもしれない。

そんなつられ笑い劣等感抱え抱えマンはどうすればいいのだろうか。(つられわらいれっとうかんかかえかかえまんと読みます。名付けてみました。)

つられ笑い劣等感抱え抱えマンを笑い飛ばすことはできないだろうか?

せめてつられ笑い劣等感抱え抱えマンに少し勇気を与える何かを見つけたい。

そんなコントをかけないかなと思いもう少し悩んだ初夏の夜でした。

解決策が浮かんだらまた書きます。

ここに書いてるおかげで悶々とした気持ちは吐き出せてるから少し楽になってるんだけどね。

ペンギンルイボス

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