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東日本大震災から9年、僕らは今何を思う

2011年3月11日(金)東日本に悲劇が襲った。忘れもしないあの日、僕はWEB制作会社に転職して3年目、当たり前のように毎日を送り、納期に追われながら 必死に目の前のことを追いかけて生きていた。それでも、普通なことが急に崩れることもある。そういう状況に人が追い込まれた時にどう立ち向かえばいいのか。ありとあらゆることを想定しておかないといけない。動いている時間は、ネジのように巻き戻せないのだから。

ふたたび襲う悲劇の矢。世界に広がる災害の狼煙。

昨年の今ごろ、FACTFULNESS(ファクトフルネス) という本を読んだ。

"人は表面だけしか見ておらず、思い込みだけで生きている。あらゆるデータが真実を裏付けているのだから、世界をもっと知るためには、正しい情報を見なければいけない。" というもの。

人の噂が真実を捻じ曲げ、デマという不明瞭な情報として拡散させてしまう。タイムリーな話題として、コロナウィルス拡大の余波が世界中に広まっている中、トイレットペーパーの品薄状態は、まさに その温床でしかない。

ファクトフルネスから学ぶ、真実を知る大切さ

人はどれほどのことを知っているのだろう。豪州では、森林大火災が昨年から発生して約10億匹の動物が死滅、133種の動物に対し早急な支援を要請。アフリカ東部でも、サバクトビバッタが大量発生して飢饉に瀕している。

新型コロナウィルスに至っては、密度の高いの集団同士が、長時間同じ場所にいて 且つ 近距離で会話を続けるとクラスター(集団感染者)として発症し易い。それも、空気感染ではなく飛沫感染というのもポイントで、体内の分泌物にウィルスが混ざって飛散。その飛沫が付着したモノに手が触れて、そのまま手洗いもせず 口元や顔に触れると、体内にウィルスが侵入するという感染経路だ。

手が触れるところは 例えば 何処だろうか?ドアノブ然り、エレベーターのスイッチ、電車の吊革など触ったり触れたりするところは沢山ある。持ち歩いている スマホや パソコンだってそうだ。

そういう条件が一番揃っているの場所は、カラオケや、LIVE会場、スタジアム。人が集まって声を張り上げて熱狂する場所。マイクを握った手は、飛沫が溜まる泣き所でしかない。

ただ、喚起されているところでは、飛沫も長く維持できないから ウィルスも一緒に消失してしまう。密室のクルーズ船やライブ会場で感染が多いのも合致がいく。

だからこそ、忘れてはいけない。あの日のことを

何かが前触れもなく襲ってきたとき、決して恐れてはならない。いつでも対処できるように、過去のデータから仮説検証してすぐに行動に移すのみ。真実に耳を傾ける。ただ、それだけで良い。僕らは負けはしない。世界規模のパンデミック相当で拡大しているコロナウィルスにも、決して諦めずに未来を描いていけば 兆しは見えてくる。今は ただ 身近なところから予防をしていくだけ。

2011年3月11日 走馬灯の記憶

当時を振り返る

GooglePhoteの写真を眺めながら涙を流している自分にふと気づいた。東日本大震災の復興真っ只中の11月25日に、息子の大輝が生まれた。今では、小学校2年生の生意気で調子の良い悪ガキである。その年の夏、嫁と結衣、アッシュ(犬) で出かけた焼津への家族旅行が、3人+1匹の最後の旅だったことを思い出すと今でも泣けてくる。忘れられない夏の思い出。

そして、今現在。

家族一同 喧嘩もするけど、何とか楽しく過ごしてる。今を精一杯生きよう。

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