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【日々】朝帰りに浴びるお日様の光はどうしてこうも苦しいんだろうね|二〇二三年一月




二〇二三年一月四日

 ふいに、いつも顔を合わせている人や家族が遠く感じることがある。言葉を投げかけてもふだんの通りにボールが返ってこない気がする。色んなことのタイミングが、いつものようにいかない。なんとなくズレていて、噛み合わなくて、心の距離が遠い。

 たぶん、ちょっとした偶然のすれ違いや運の悪さが重なってそう感じるだけなのだとはおもう。でも、こういう日はすごく気持ちが悪い。周囲と自分がどんどん乖離していって、世界から取り残されていくような気分になっていく。

 きょうは、どうやらそういう日みたいだ。


二〇二三年一月五日

 書評を漁っていたら、

「人にたくさん会いに行けばいいというものではない」
「その裏には何かチャンスやヒントをもらおうという自分側の魂胆しかないのでは?まず自分は何を人に与えられるのかを考えよ」
「今ある縁を大事にしながら、自分の持ち場で手を動かし続けること。そうしていれば向こうから会いにきてくれる人になれる」

……というようなことが書いてあった。唸った。この一年くらい、自分は追い込まれるあまりこういう積極的他力本願とでもいうべき姿勢に堕していたような気がする。よい気づきをもらえたなあと感謝しつつ、読みたい本リストに加えておこうかと思って言葉の出元である本を調べてみたら、いわゆる自己啓発のベストセラー本の著者だったので嫌になってそっと閉じた。天邪鬼。


二〇二三年一月六日

 きょうは朝から物干しハンガーのピンチを壊し、コーヒーをこぼし、米をぶちまけるフルスロットルな滑り出し。こういう日はもう、何をやっても噛み合わないってわかっている。くらい穴ぐらの奥の奥までもぐってずっとうずくまっていたい。思い出さなくていい事も次々浮かんでは襲ってきてクタクタになってゆく。

 まあ、これくらいで済めばまだかわいいものだったろうとおもうのだ。なにせこの日の締めくくりには、誘われてお邪魔した酒の席でペースを誤って泥酔し、お世話になっている会社の先輩方と家族に大変な迷惑をかけるという極めつけの大恥が待っていたのだから……。
 酒のお代は一銭も払っていない。けれど、帰れなくなって避難したネットカフェ代、クリーニング代やダメにしてしまった衣服、約束を直前でキャンセルせざるを得なかった友人との信頼関係、静養のために犠牲になった貴重な休みの一日……あまりに代償が大きすぎる。

 元日、日の出を見られたぐらいで「面白い一年になるかもしれない」などと調子の良いことを考えていたが、とんでもない。初日からSNSで地雷を踏むし、頭もどこかぼんやりしていて冴えがないし、日々の至るところでキレがない。どちらかというと、悪いものが詰まって色んなことの流れが不健全になっているような気がする。幸先の悪すぎる滑り出しだ。淀んだものが渦巻いていて、どうにも気持ちが悪い。こころも身体も重たい。換気をして綺麗な空気を入れたい。洗濯をしてさっぱりとしたい。

 酒で失敗した朝帰りに浴びるお日様の光って、どうしてこうも苦しいんだろうね。不摂生でボロボロのからだとこころはただでさえ重たいのに、容赦ないまぶしさと澄んだ蒼が痛くてしようがない。もう二度とこんな気持ちにはなりたくないって、毎回そうおもっているような気がする。


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