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【日々】ハンドドリップがうまくいかない|二〇二二年十二月


二〇二二年十二月二日

 つめたい鈍色の雲。そのむこうからすこし遠慮がちに差している低い陽光が、ところどころにしろい後光をつくりだしている。合間からは少しだけ、澄んだ蒼がのぞく。冬だ、これは冬の空だ。ようやく、どっしり腰を落ち着ける気になったようだ。

 争う声、怒る言葉。関係ないと聞き流そうとしても、胃のあたりにきざす不快な熱さ。ただそばで浴びているだけで、削られてゆくような感覚がある。このところ、オフィスで毎日のように繰り返されている。それだけでもくたびれるのに、影響されてささくれだってしまう自分自身のこころにも心底ガッカリして、どろどろとした嫌悪感と疲労がたまってゆく。



二〇二二年十二月三日

 つまらないことで腹が立つ満員電車。こころの保湿がたりていない証拠だ。

 会社へ向かう道すがら、人通りのすくない街の裏手を通り抜けようとすると、見慣れない動きをしている人がいる。たばこをふかす人たちに混じって、せっせと格闘の練習をしている警備員ふうのおじさん。ちいさく小気味よくかけ声を放っているが、空を切る中段蹴りにはあまりキレがない。

 夜のオフィス街の闇を、鈴なりの光の球がうねうねとうごめいている。目を凝らすと、ヘルメット姿の作業員たちが街路樹にイルミネーションをとりつけている。重機をつかって、樹の上の方からライトをちりばめたワイヤをまとわせてゆく。灯火はみんな、ぴかぴかと光らせたままだ。かれらが手を動かすたびに、闇の中で青白い光球がいっせいに踊り出す。まほうつかいのよう。光のお手玉とは無縁に、黙々と掃き掃除をしている人もいる。街路樹をいじるから、落ち葉がでるんだ。ああ、けなげな仕事だなあ…。こんなふうにして、ありふれた冬の風景はできていたんだ。



二〇二二年十二月四日

 ゆっくり起きて、スウェットにダウンをひっかけただけのだらしない格好で出かける。駅前の専門店で珈琲豆を買う。線路の反対側へまわって、路地裏の湧水で水を汲む。他の街からわざわざクルマで来たらしい夫婦が、水の汲み方がわからずに当惑している。管理している商店に金を払う必要があるのだということを教えてあげる。この日、その商店は残念ながら閉まっていた。わたしは一瞬迷いながらも、結局そのままその場を離れた。

 家事の片付いてきた夕方に、今朝汲んだ水を沸かし、買ってきた豆を挽いて、ハンドドリップで一杯のコーヒーを淹れて飲む。夕暮れのぼんやりした室内。あの夫婦に水を分けてやらなかった自分は、すこし意地悪だっただろうかと思い返す。


二〇二二年十二月六日

 仕事終わり、遅い時間から東村愚太とアメ横へ繰り出す。ガード下の天ぷら屋。千円ちょっとを前払いすると、マスに入った数個のサイコロが出てくる。これを持ちコマにして、メニューから追加オーダーするしくみになっている。料理や酒によって賽の消費数が決まっており、安いものをたくさん呑み食いするもよし、少数精鋭で攻めるもよし、と自由自在だ。面白い。店内は狭くて、お世辞にも綺麗とはいえないが、出てくるものはうまいし、妙な居心地の良さがある。両隣には外国人。店員は当然のように英語で接している。厨房には、ひとりだけひと時代前の佇まいをして黙々と調理するおやっさんがいる。


二〇二二年十二月八日

 ハンドドリップがうまい仕上がりにならない。気をつけて淹れたつもりだったのだけれど…こんな味だったっけ?

 クレジットカードの磁気が反応しなくなったのでゆうちょ窓口へ。結局磁気チップをこすったらまた反応するようになったが、対応した老人の態度のあまりの横柄さに、こちらも思い切り不快感を出してしまった。さいきん自分はどうも、すぐに苛々してしまっていけない。なにが気に食わないのだろう。直後に書店で目にした「性格が悪い人へ」という煽り文句を全面に出した小説がさらにその問いを重ねてくる。よく見るとこの文庫本、元々ついていたカヴァーにさらに上掛けしてわざわざこの売り文句をつけている。フェアなどの販促企画でカヴァーだけを別送して展開させる例があるのは知っていたが、なんだか笑えてきてしまった。

 まだ老郵便局員への怒りが胃のあたりで燠のように熱を持っている。まあでも、郵便局が早く済んだおかげで、よさそうな本をふたつもみつけられたから、それでよかったとしよう。もちろん、「性格が悪い人へ」の本のことではない。


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