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ひび|2024.05.18




あーちゃんが出かけてゆくのを、七割ぐらい眠ったままの頭で見送る。気がつくともう十時前で、ぼっさりと起き上がってひげをそり、暴れ散らした髪を櫛で殴りつけ、洗濯機を回し、ロンTにジーンズで駅へ向かう。手ぶらで歩くと気持ちがいいけれど、この時間でもすでにじりじりと陽射しが痛い。駅で友人のタケ氏と落ち合って、明日の文学フリマで必要な荷物一式を詰めたスーツケースをうけとってまた引き返す。慣れない重みを引きずってあるく初夏の道々、あっという間に汗がにじんでくる。

四十分ほど締め切っていただけで、もう部屋の空気は熱を帯びはじめている。洗濯機はもう止まっている。窓を開け放ち、短パンに履き替えて、風呂場で軽く足を洗い、さっきコンビニで買ってきたレモンスカッシュを半分くらい飲み下してから、シーツを干す。アイスコーヒー片手に、ぶつぶついいながらMLB中継を眺める。観てる日に限って打つどころか出塁もしないエリー・デラクルーズ。ちぇっ。NPB中継に切り替えてまたぶつぶつ言いながら、さっき買ってきたカップ焼きそばをすする。家人がいなくなると急に、思いっきりジャンクな生活がしたくなる。

膨れたおなかをぶら下げて、またジーパンに履き替えて出かける。じりじりじり、焼かれる肌。レモンスカッシュの残りをぶらさげて歩き始めたけれど、あっという間にカラになっちゃって、しかもすぐに喉が干上がる。ひー。四十分ほどあるいて、美容室のすずしい室内に逃げ込む。このところ猛獣のごとく手がつけられなくなりつつあった頭を覆うもじゃもじゃたち、思いきりばっさりサッパリいった。ほんとうは、女の子のショートカットくらいの塩梅を使いこなしたいと、ずっと思っているのだけど。


実家のあたりを回ってゆっくり帰ってゆく。さすがにすこし足が疲れてきている。歩道橋のてっぺんを横切る黒く太い電線をくぐりながら、これって触ったら簡単に死ねるのかなとか考える。植え込みからひとりだけぴょんこ飛び出て伸びている花。ツタの群れから外れてひょいっとあらぬほうへ伸びている蔓。陽に焼けた土埃のにおい。あちこちでリードにつながれて歩く犬たち。スーパーで買い出しを終えて畑のわきの小さな道を歩いていたら、ふと空がいい色に滲んでいるのに気がついた。振り返る。昼間がしっぽをひきずって向こうへ去っていこうとしている。暑かった日ほど、暮れ際にふく風はすずやかで気持ちがいい。iPhoneを構えてみる。そうだ、こういう色がわたしは好きだったよな、とまるで他人事みたいに、思い出す。どんなカメラで撮ったってわたしがみているこの大好きな色は残せないって、わかっているけれど、それでも。


キッチンに立つ。浮さんのライブクリップを流しながら、冷やしておいたサッポロ・クラシックの白い缶とグラスを取りだして、ひとまず一杯。つめたくて苦み爽やかでほんとうにしあわせ。去年北海道に出かけて、駆けつけ一杯で昼間ッから飲んだときの感動を思い出す。きゅうりとみょうがを切り、半額になっていた国産豚の薄切りを茹で、タレで和える。厚揚げを四等分してごま油で焼き、大根をおろして載せ、すこしのごま油をまぜたポン酢をかける。かつおの刺身を切ってみょうがとしょうがを添える。なぜかいつものスーパーに売っていた旭山動物園コラボ柄のカップ酒といっしょに、さっぱりと晩酌する。

シャワーを浴びて、Tシャツに擦り切れたスウェットズボンのだらしない姿でお茶をがぶ飲みし、デスクに座ってパソコンの電源を入れ、iTunesで十数曲くらい適当に放り込んで流しながら、なんとなくキーボードを叩きはじめた。ふと二の腕が、ひりひりと痛むのに気づく。よく見たら真っ赤に焼けている。この前羊文学の物販で買ったゆりかさんプレゼンツのアームカヴァー、していけばよかったなと思う。なんなら去年買ったまま使っていないナードマグネットのバケットハットもかぶっていけばよかったんだ。よかったんだけど。わたしはいつも、大切なものほど出すタイミングにこだわって渋りちらして、結局しまったままになってしまう。





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