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二〇二四年二月




ある夜、濁った鈍い頭で電車を待ちながら漫然とiPhoneをいじっていたら、いやにニコニコした男の人が声をかけてきた。なんて言っているのか、さいしょ全然聞きとれなくて返す言葉が見つからなかったのだけれど、三度目くらいでようやく「ギンザ・ライン」という単語が聞き取れた。銀座線のナニガシという駅にいきたいみたいだ。今いるのはJRのホームだから……構内の案内表示の、黄色いマルに「G」のマークを示して、とりあえずここではなく、階段降りてこのマークのところへ行くのだということを身振りで示そうとする。わかったのか、わからないのか、ともかくパッと明るい笑顔になって、センキュー! と言って歩きだす彼。いまので本当に分かったのか、改札出てその先は大丈夫なのか、ついてってあげた方がいいかな……と思いめぐらせながらも、ぼんやり見送るばかりのわたし。

すると彼はふいにこちらを振り返って、「ハッピー・ニュー・イヤー!」と手を振った。ああそうか、とおもった。かれらにとって今はお正月なんだ。手を振りながら、やっぱり動かない足を呪いながら、無事にたどり着けますようにと祈る。ほんとうは、もっとちゃんとお話して、送り届けてあげたかった。もうすこし、もうすこしだけ、元気だったらな、とおもう。



玄関の扉を開けたとたんにぶわっと流れこんでくる、なまあたたかい温度。家の壁を殴り、窓辺でうなり、髪も服もめちゃくちゃにして暴れる風。ベランダで踊り狂う洗濯物と真っ青な空。

かと思えば、どっさりと降る雪。キンキンに冷えて肌に痛い水道水。窓の外から滲みだしてくる、シンっと冷えた空気。テレビ画面の向こう、必要もなさそうなのに出かけていって、各地で雪にふられながらリポートをするテレビ・マンたち。「今夜は配達中止になりそうですよ」と、かじかんだ声のヤマトのおじさん。焚くお香を選ぶとき、「さむいから、バニラ」ってなりがち。その理屈はいったいなんだろう。甘いもののほうがカロリー高くて、熱量ありそうだから?

そんな銀世界もすぐ翌日には融かしてゆくおひさま。コンクリートの街並みに似合わない、雪解け水のしたたる清冽な音。上半身は日光であたたかいのに、脚からお尻のあたりがぞわりと冷える瞬間があるのは、まだ地面に雪が残っているからなのかしら。あるく道々、咲き始めた花の鮮やかな色に足がとまることが増えて、朝の空気や、夜風に、時折春のにおいが混じる。花と草、水。しめったアスファルトのにおい。なんだろうね、あのにおい。いろんなきもちがするんだけど、うまくことばにできないでいる。いつものコーヒー・ショップで今年はじめてアイスを頼んだ。でもやっぱり、すぐにホットに戻った。ダウンを着て出かけると暑いけれど、オフィスはなんだか寒かったりする。わかりやすく、季節の変わり目にいた二月。



わたしはといえば、相変わらず濁った頭をうつむいて、終わりのない思索に沈み、手の届かない記憶の輪郭をなぞってばかりいた。春の気配が鼻をつくと、学校に行きたくなかった新学期の朝とか、卒業式や新歓の帰り道とか、そういうものがわたしを捉えて胸が苦しくなる。いい加減ねえ、目の前をみなよ。


でも、すこしずつ頭の霧が晴れる時間も増えてきて、動ける日を選んでぽつぽつ、会いたい人たちのところへ足を運んだ。たいていの場合その時間がさらに頭もこころもシャンとさせてくれたし、ふしぎとおもしろい連鎖や縁を呼び込んできたりして、なにかきらきらした力に手を引かれるような、あれ、いまなにかの流れにのったのかなって、どきどきする予感がこころの端っこでもぞもぞし始めた。この子はすこやかに育つかな。育つといいな。


谷保のダイヤ街。
伊東の海。
父の行きつけの料理屋。

井上陽水のうたと「小鳥書房」は、意外なくらいよく似合うんだなっていう発見。
「つぐみ」の大きく明るい窓辺をながめているときの、しあわせなきもち。
気持ちよく酔いながら、ああやっぱりわたしは彼の子どもなんだなあと、ちょっとおかしくなった夜。


国立の大学通りを歩いているとき、自分がいつもクヨクヨめそめそしているようなことどもが、急にみんなどうでもいいことのように思えた瞬間があって、もっといい加減に、好き勝手生き散らかしたらいいのにって、ね、このテンションが平常運転で実装出来たら、もうすこしたのしく過ごせそうなんだけど。でも、わたしのこういう気分はほんのいっときしか続かないんだってことも、さすがにもうよくわかっている。



身体もこころも、力が足りなくてうまく動かせない。そうやって、「ハッピー・ニュー・イヤー」の彼をはじめ、たくさんの瞬間を見送ってきた。わたしはずっとなにかに、たぶん、〝生活〟そのものにつかれ続けていて、うまく動けなくて、そしてそのせいでせっかくわたしのまわりに漂い始めているきらきらを、つかみそこねてしまうんじゃないかって、焦っている気がする。同時に、変わり始めている自分をこれまでと地続きの暮らしにうまく落ち着けることができなくて、すわりが悪くて、困っている。なにかが窮屈で、体勢をもっとラクにしたくて、でもいま一つどこが目詰まりしているのかが、つかみきれていない。あーあ。海をみたい。ひだまりで丸まっていたい。畳のうえに大の字で昼寝したい。なんにもしたくないときは、なんにもしないでいたい。たったそれだけのことがとっても難しく感じられるけれど、それってほんとうに、そんなに困難なことかな。





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