ひび|2023.12.31
夢をみた。
美しい、大きな川のみえる家に住んでいる。あたりは一面、田んぼと、ポツポツみえる真っ黒な民家だけ。二階の窓から、電線の上におおきな、見慣れない鳥がとまっているのをあーちゃんが教えてくれる。家の中は古い面影を残していて、暗い和室のひっそりとした畳の目をおぼえている。
予報より天気が良くなったので、洗濯物を干す。人でごった返すスーパーで最低限の買いものをすませたら、トイレとお風呂を掃除して、仕上げにリビングもひと拭き。もう十分でしょう。よくがんばりました。
昨日ローストしてもらったばかりの珈琲豆を、香りにうっとりしながらゴリゴリ挽いて、ていねいに淹れる。歳末で売られているのをうっかり見つけて買ってしまった六花亭のバターサンドといっしょに。レーズンのこと、わたしはすきでも嫌いでもないけれど、バターサンドのなかにいっぱい詰まっている君たちのことは愛してるよ。
おひさまが灰色の空の向こうに鈍く隠れ始めて、部屋のなかはしずかに暮れ始めている。もう、あとはそばをたべて、おさけをのんで、紅白やらゴロちゃんやらみながらケラケラわらって、気づいたらまた西暦が見慣れない数字にカウントアップしているんだろう。そしてその数字が口と脳みそに馴染みきらないうちに、またつぎのカウントを迎えるんだろう。
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探りさぐりそろそろと色んなところを突っついてみたりして、そのたびに喜んだり傷ついたりした一年だった。たのしそうな輪ができるかなとおもったらすぐにダメになったり、頑張ってひとつ成果が出たなとおもったらそれを帳消しにするくらいの嫌な後味がついてしまったりした。だからたくさん得たものはあるはずだけれど、残っているのはどちらかといえば哀しみのほう。
わたしはまわりの人を幸せな気持ちにしたり、たのしい気分にさせたり、なにかを贈ったりできない人間なのだと思う。どちらかといえば、嫌な気持ちにさせてしまうみたい。それがことし、よくわかった。今まではそれを思い知るたびに悲嘆に暮れてきた。どうして、なんで、いやがんばればきっと。
でも、もういい。どう足掻いたって、わたしはきっとそうでしかあれない。これからもきっとそのたびに傷つくのだろうけれど、良くも悪くも、ことしでちょっと諦めがついたような気持ちもある。底の底の奥深くに、そういう冷たさをたたえながら、それでもわたしはこれから、世界のちいさなうつくしさをうたえるようになろうとおもっている。なるべく人に嫌なおもいをさせないように、人の輪から、水の合わない経済から、街から、慎重に距離をとりながら、ひとりになっても生きていけるような、いろんな意味での強さを、育ててゆけたらいい。心臓がとまるそのときまで、しずかに、でもたしかにわたしの生を燃やすために。
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