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【日々】屈託なく生きたい|二〇二三年三月




二〇二三年三月二日

 福永武彦『草の花』を読み切る。終盤に入ってページを繰る手がとまらなくなって、仕事の休憩時間をめいっぱい使って読んだ。弁当も読みながら食べた。そして本を閉じてのこるのは無力感。人はどんなに求め合っていても、ごくわずかなすれ違いで交わりえない。つよい愛は失うことをおそれ、過度に高潔な愛は目の前に具現するその愛の対象をおろそかにする。どうしてそのわずかの、ほんとうにわずかの差異をあわせることができないのだろう。苦しい。

思えば人間の心の奥深いところは誰にも分らないのでございましょう。

福永武彦『草の花』(新潮文庫)p.264

 つまるところは、こういうことなのか。愛されなかったと嘆き、孤独の中に絶望することで、たしかに目の前にいる愛してくれたその人たちとすれ違ってゆく。わたしにはあまりに痛い、汐見茂思の有り様。



二〇二三年三月四日

 なにもしていない。『宝石の国』の最新刊をやっと読んだ。無常。特装版をひらいて感激した。これは芸術だ。わたしも市川さんみたいに、すてきな本をつくってみたいと心からおもった。貰いもののカルディのコーヒーからは春めいた香り。カーテンのレース越しに、やさしい陽射しがからだをあたためている。きょうはこれからあとも、なにもするつもりはない。夜はすこしだけ、ビールを呑もうか。こんな日も、たまにはあっていい。





二〇二三年三月六日

 こころが不気味に凪いでいる。諦めとか、無力とか無常とか、そういうひっそりと冷えたような落ち着きのとばりがおりている。とりたてて憂鬱なわけでも、派手に絶望しているわけでもなく、ただただ、しずか。ひとつだけ確かなのは、このところ周りに対して激していた感情が、とんだ思いあがりと見当違いであったということ。わたしにできることなど多くはなく、だれかにとって意味を持つこともそうはない。ただおとなしく、しずかに、かならずやってくる終わりを夢みて、日々をゆたかに生きればそれでいい。

 玄関の扉を開けると、われらが歌姫が毎年、ファンクラブ会員に贈ってくれるバースデー・カードが出迎えてくれた。ただ、場所が悪かった。つっかけサンダルの上に無惨に横たわる彼女を拾いあげる。ポストから勢い余って飛び降りてしまった彼女には、くろいきずまでついている。むきになってウェットティッシュでこする。当然のように表面が剥げ落ちて終わる。ことしはいい歳になりそうもない。



二〇二三年三月七日

 おひさまがあたたかい。家を出てしばらくはぽかぽかした空気とにおいを味わってみるけれど、だんだんと鼻がむずむずしてきて諦めてマスクをする。

 わたしの仕事を認めてくれる人はすくない。会社でも、好きでものをつくっていても。それでも、自分の信ずる仕事を淡々と、死ぬまですればいいのだとおもう。自分の仕事の届く先のこと、自分のささやかな美意識のこと。さびしいけれど、まだギリギリ、ひとりぼっちじゃないし。

 ソーダ水、いいな。しゅわしゅわする。



二〇二三年三月八日

 近所の庭の花ざかり。そばを通るたびに次は写真に撮ろうと思い続けて、きょうようやく構えたiPhoneの画面にうつるすがたはもうだいぶ散りかけている。こんなことばっかりだな。

 国立駅で降りて、谷保のダイヤ街に。小鳥書房で落合さんと久しぶりで長話をする。お互いの近況。屈託のない人になりたくて、でもなれないこと。ゲッターズ飯田的にはわたしは昨年から大殺界の真っ只中にいるらしいこと。性格タイプが「海と夕焼け」の柳沼さんと一緒なこと。占いは色々、心当たりがあることだらけで可笑しくなってきてしまった。でももう底は抜けるんだって。いい占いはドンドン信じてしまおう。

 一年前ここに出入りしていた時とはいろんな事が変わってしまっていて、でも落合さんがひとり店に立っている小鳥書房はちょっとあの頃を思い出させる。きょうは間違いなく今までで一番「屈託なく」喋って帰れた。それがなんだか嬉しかった。だいぶ、健やかに戻りつつある。

 途中で顔を出してくださった雄一さんと一緒に、こんこんと話し込みながら国立駅まで戻って、時計を見て焦る。約束の時間を1時間近くオーバーしながら東村と落ち合って、例のごとくアメ横ではしご酒に酔う。次の文学フリマへの方針は大体決まった。わたしたちはまだ何者にもなれず、これからもなれないかもしれない。でもふざけるな、おれたちは確かにここにいるんだぞと、虫の抵抗でもいい、世界に向かって叫びたい。そう思っている。

 帰り着くと落合さんからメールが来ている。きょう本を買ったついでに引き受けた小さな仕事、移動中に成果物をだしてみたのだけれど、それで一発オッケーだって。めちゃくちゃ褒めてくれていてうれしいけれど、まあ半分くらいお世辞だよなっておもう。おもったけど「屈託ない」青年になるために、すなおに喜ぶことにした。


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