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【日々】水底にて|二〇二二年十二月



二〇二二年十二月十七日

 変に人を敵視することをやめて、自分から胸襟を開きにいったら、みんなうまくいったし、一日の後味が見違えるほどさわやかだった。ちょっとずつでいいから、自分の正義にあわないものにいちいち憤るのはやめていきたい。みんなそれぞれに違うそのままに、気持ちよくいっしょに過ごしたい。


二〇二二年十二月二十日

 今年は、冬をたのしめていない。身も心も重たくて、水の底を歩いているよう。何度か経験したことのある、あの嫌な感じ。
 何度か水面に近づけたこともあった。それなのに、自分の力ではどうしようもないところから力がかかって、また浮上しきる前に奥底へ引き戻されてしまう。

 今は耐えるしかない。


二〇二二年十二月二十一日

 ピンと冷え切った街を、ネックウォーマーに顔を埋めながらあるくと、からだの奥から逃げていく熱がめがねをくもらせてゆく。煩わしいはずの、マスクとめがねの意地悪。でもおかげで、暗い街にうかぶなんでもない街灯や信号機のサインが、じんわりと滲むようにきらめいてみえて、ゆめのように綺麗だ。


二〇二二年十二月二十三日

 世界が痛いほど冷たい。風が強く刺して、身を削ってくる。駅まであるく道すがら、とうの昔に追い抜いたはずの婆さんがふたたび数十メートル先に現れ、「なに…ッ!このババア、"能力"の使い手か…ッ!!」と思わず『ジョジョ』の登場人物みたいなセリフを口走ってしまう。いや、ほんとどうやったんだ婆さんよ。


二〇二二年十二月二十四日

 街のイルミネーションなんかより、高い建物のすくないところでながめる冷たく澄んだ夕焼けのあわいをながめるほうが、ずっと心を打つものがある。闇に落ちていく街を首をすぼめてあるくわたしは、素晴らしいディナーの席に着くために出かけるわけでもなく、つつましいご馳走を家族とかこむために家路を急いでいる。でも、それがいい。そのあたたかさが、いまのわたしには何よりの宝ものだと思う。


二〇二二年十二月二十六日

 通院。入口で検温器に近づいても、休止状態から復帰せず画面は暗いまま。やっと起動しても、ついに体温を測ってくれることはなかった。自分は本当にこの世に存在しているんだろうか。

 人の縁は、切れるときは雪崩れるようにブチブチ切れてゆくものなのだなあと思う。これまでと同じように投げても、胸までボールが返ってこなくなる。ふしぎと、そういう人たちは出会ったコミュニティも同じひとたちが多い。またひとつ、わたしは変わりつつある。


二〇二二年十二月二十七日

 都心へ向かう列車で本を読んでいて、ふと目をあげると遠くに、しろく、大きく、しずかに富士がみえる。背景には、すきとおるような蒼。きょうは目にうつるものがみな、うつくしくみえるような気がする。昨晩、ひとまとまりの文章を書きあげた満足感が、そうおもわせるのかもしれない。



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