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【日々】昼の下北沢で落ち着かず、夜の中野で満たされる|二〇二二年十二月


二〇二二年十二月九日

 今朝のハンドドリップは最近ではいちばんの出来だった。キリッと味が立っていて、雑味も少ない気がする。蒸らしで湯を注ぐときにコーヒースプーンで慎重に行ったこと、抽出をはやめに切り上げたことがよかったかもしれない。しかし飲みすすめながら、あたためるためにカップに入れていた湯は捨てたっけ?と思い至る。捨て忘れてそのまま注いだのだとしたら阿呆にもほどがある。せっかくうまくいったと思った味も、実は湯で薄まっているのかもしれない。そしてそれを旨いとおもった自分の舌。かなしい。


二〇二二年十二月十日

 百貨店や電気屋を長時間ウロウロながめていたら、具合が悪くなってしまった。消費せよ!これはいくらだ!こんなにすごい機能が!!……クラクラする。人の波をかきわけるストレスもあわさってのこととおもうが、ふだん消費することに対してドライなスタンスを固めはじめている自分には、そういうドンチャンはあまり近寄りたいものではない。

 大陸の出らしい店員のおばさんが、連れに熱心にジュエリー入れをすすめている。さすが商魂たくましいなあとおもっていたら、ひみつね、といいながら自身の優待券をつかって割引で精算してくれた。ふしぎなひとだった。


二〇二二年十二月十一日

 昼下がり、人気のないまち。早くも西陽。むこうにもくもくわいている雲に、ほんのりと朱がさしているのが綺麗。

 下北沢「BONUS TRACK」へ、「日記屋 月日」の企画『日記祭』をみにいく。日記ふうエッセイをやってみようと思った矢先に、このイベントの告知が目に入ったので、渡りに舟とおもったのだ。

 『日記のきっかけ展』をみながら、自分がこの数年つけ続けている「ほぼ日手帳」の使い方は、ライフログに振り切って使う方が良さそうだと確認できた。行動記録でいい。雑感も一言くらいはつけてもいいけれど、その辺はれいのエッセイのためにとっておこう。

 「本屋B&B」と「月日」もさらっと流す。よかったが、やすみの下北沢ということもあって、わたしにはどうしても活動的になれなかった。『日記祭』の出店も、せまいスペースにちいさなテーブルで設けてあって良くも悪くも距離が近く、"ぜったいに何か話さないと眺められない"感じがある。しかもカップルやら女の子やら、華やかな賑わいの中にあったことが、自分をさらに内気にさせることに一役買ってしまった。情けないなあとはおもうけれど、出来ないものは出来ないし、嫌なものは嫌だ。自分の中にスッと入ってこないものは、つかれる。

 「B&B」では菅啓次郎や庄野雄治をはじめ、読みたいなあと思っている本をたくさんみつけた。早く手元に欲しいが、どうしても財布に余裕がない。もう一回りぶらついたついでに、「月日」で「北沢ブレンド」を買ってあたたまる。ビターな方のメニューを選んで正解。下北沢駅をぶらついていてみつけた、サコッシュ入りのドライフラワーがかわいかった。ほしい。

 新宿を経由して中野駅につくと、弱いが冷たい雨が降り出している。予報にはなかった気がする。そんなわけで傘もない中、震えながらサンプラザへ向かう。夕刻から、バンド「羊文学」のライヴが予定されている。歳を重ねて良い色になった内装をあちこち眺めて、開場までの時間を潰す。このサンドウィッチじみた建物も、次の夏には閉じてしまう。わたしにとっては中央線の車窓から望むものとして以上の縁はほとんどなかったけれど、間違いなく中野の象徴的景色として親しんでいたものだ。失うときになってようやく、当たり前にあったものの尊さに思い至る。いつもそうだ、わたしは。

 オープンしてもおさまらない雑踏をエントランスホールでやり過ごしながら、何気なく読んだnote記事で目にした「続かなくて突出したものができないから、形にならない」ということば。綴っていたのは、かつて同窓だった女性だ。わたしも生まれてからこの方ずっと、そうだよ。心のなかで彼女に向ってそう、呟く。
 けれどわたしは、彼女ほどにたくさん、チャレンジしてきただろうか。「続かない」点では似ていても、わたしはそもそもやり始めることを、挑むことをほとんどしてこなかったような気がする。わたしは、彼女が息を切らしながら登ってゆく、そのはるか下方をウロウロしているにすぎない。みている景色はまるで違うだろう。

 「羊文学」の音楽は、ここではないどこかをたゆたっているようなきもちになれるところが、いい。モエカさんの歌には、決して単純でない情緒が捨象されずにちゃんと織り込まれている。だから、こころを掴んでくる。この日はライティングもほんとうにきれいだった。後方の席からみおろすホールには、天井から、壁から、客席やステージまで、びっしりと巨大なほたるたちが住んでいるよう。

 「きょうはじめてライヴに来てくれた人!」というお決まりの投げかけに、すなおに手が振れなくてごめんなさい。屈託なく振る舞えないのは、まだここが自分の場所になっていないから。けれど近い将来、そうなると思う。下北沢で感じたのとは真逆に、この世界はわたしのなかにスッと、自然にはいってきたから。



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