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【日々】彷徨う|二〇二三年十一月




二〇二三年十一月五日

中央線に乗り換える。そこでふと自分の前に電車に乗り込んだひとの背中に妙に見覚えを感じる。なんとなく流れでそのひとの向かいに座ってみて、ちょっと可笑しくなってしまった。知り合いでも何でもなく、でもたしかにこの男の人と同じ駅からいっしょに乗り込んで、しかも向かい合わせに座ったことが以前にもあったというだけ。どうして覚えているかって、その男の人の顔かたちとか、頭にちょこんとのったニット帽とか、ちょび髭とかがやけに特徴的だったから。ガタイよく強面なのに、なんとなくユーモラスな感じをしているのもあって、笑ってしまいそうになる。なんだろうこの再会。彼はわたしがこんなふうに思っていることも、こうしてそれを綴っていることなんて生涯知ることはないだろうし、想像もしていないだろう。へんなの。

あしたから二連休。あとわずかでゆっくりとやすめるのだとおもうとうれしい。完走まぎわ、すぐそこまできている安息をおもって手を伸ばす、そんなきもち。




二〇二三年十一月七日

唸りながらも起きた。ぼさぼさのままゴミを出しに行く。外に出たると、むわりと湿って微熱を帯びた空気のにおい。ふつうこの時季に降る雨って、冷たい次の季節の空気を連れてくるものだけれどなあ。午前と午後、二度淹れたコーヒーはどっちもアイスになった。BSで『はぐれ刑事純情派』をやっていて、懐かしさのあまり家事をしながら観る。新聞片手にキッチンのテーブルにつくいかめしいオヤジ、和室のあるやたらと広い間取り、行きつけの店には美人女将、みやげを下げて泥酔帰宅。今はなき、なさすぎる、ひと時代前の空気。藤田まことっていいよね。

昼過ぎ、久しぶりにテレビ画面越しに眺めた大分・別府の街を見て、ばあちゃんちをもし将来貰い受けて住んだらたのしいかな、とか考える。『はぐれ刑事』も、そういえば夏休みのばあちゃんちでよく観ていたのだった。もう十年近く、会えずにいる。

週末のイベントに向けて資料を準備したり、久々に絵を描いたり。絵を大方完成させて、でもなんとなく納得しきれないまま夕方、スーパーへ買い出しに出たら、その道中で別のいい構図が降ってくる。帰って急いでラフで描き出してみたら、さっきまで二時間くらい使って満足できなかったやつよりすでにずっと良い。こんなもんだよな。夕飯に茄子と青唐辛子の焼き浸し、親子丼をつくる。あーちゃんのお小言があんまりにもあんまりなので、閉口する。こういうとき、わたしは文字通り何も喋らなくなる。怒ると口をきかなくなるのは、母親といっしょだ。わたしはわたしに命をくれたふたりの、変なところをちょっとずつ貰っているみたいで可笑しい。




二〇二三年十一月八日

この数日の変な暑さがうそみたいに、涼やかな風。落ち葉が舞ってからから音をたてる。空気が澄んで、遠く山梨の山々がくっきりみえる。公園でゆっくり、ゆっくりラジオ体操をするおじいちゃんおばあちゃんたち。

こういう日々のうつくしさに、今までならすぐに反応して書き起こすことができていたけれど、このところあまり手が動かなくなっている。心も。いろんなことが重くて鈍い。きょうのこれも、結構無理やり書きつけている。いたるところが錆びている。ほこりがまとわりついてうまく動かない。電池がのこりすくない。そんな感じなのだろうか。もう、じっくりメンテナンスしないと危ないところにきているみたい。このところ、ずっとバランスがおかしい。




二〇二三年十一月十二日

昼前に起きる。無印のカレー。久しぶりに、ゆっくりコーヒーを淹れる。ぼんやりした頭できのうの文学フリマの振り返りをして、買った本たちを手にとってみる午後。今シーズンはじめて、コートを着る。かんぱちのお刺身、白菜、お酒。




二〇二三年十一月十三日

きのうはコートと、長袖の寝巻きを出した。きょうは、羽毛布団とマフラーを。どうも急すぎて、ああもう冬だなあと、おもっていいのかどうかいまいち得心いかなくて、あいまいに過ごしている。でも、もう半袖のTシャツと短パンを着ないことだけはたしかだろうから、押し入れに仕舞った。




二〇二三年十一月十四日

きのう出した布団があんまりあたたかくて、ベッドを出るのが一時間以上遅くなる。きょうは、セーターを出した。でも日中の陽射しは結構な熱量で、駅に着くころにはマフラーを外す。首の周りがすうっとして気持ちいい。長らく会っていなかった友人と予期せぬところで再会して、普段どんな感じでいっしょにいたのだっけ? と調子があわせきれていないような。一年ぶりの急な寒さと、ちょっとまだ付き合いきれていない。





二〇二三年十一月十五日

新譜チェックまつり。the band apartのepと、naked名義の新作AL。石野理子のソロ。吉澤嘉代子のepは『抱きしめたいの』の切実さがよかった。ちょっとおなかがいたい。ミルクティーをこぼす。




二〇二三年十一月十七日

雨。びしょ濡れのジャケットの左袖。新しくもない靴でいまさら起こる靴ずれ。電車は遅れていて、すわって本を読むこともできない。途中で乗ってきた男がずっとくしゃみをしている。めがねが曇って、Face IDは機能しない。




二〇二三年十一月十八日

よく眠れなくて朦朧とする。皮膚科にいったら、妹にバッタリ会う。ずっと同じところに通っているのにこんなことは初めてで、それを今更意外におもう。こんなところで、ひとり同士で会うと変な感じがする。おたがい、オトナになった。

きょうはこのまま仕事にゆく。目の前で獣がいっぴき、サッと道を横切る。ねこにはみえなかった。あのながーい鼻づらはたぶん、タヌキ。出てきた建物をみると、スタジオジブリの社屋だ。会社へ向かう前にたまごがたべたくて、パン屋のイートインでたまごサンドを食べる。パンは美味しいけれど、コーヒーがうすくてかなしい。




二〇二三年十一月十九日

頭も身体もうごかない。なんとか駆動に成功したころにはもう十五時過ぎ。休みの日の朝にやろうと先々週くらいからおもい続けていることは、いまだに実現しないまま。珈琲を淹れる。もらいもののスコーンには蜜漬け林檎が入っていておいしい。

SNSの投稿にコメントをつけようとしてやめ、宛名まで書いた手紙は夜寝る前にシュレッダーにかけた。わたしはさいきんもうずっとこんな感じで、誰に対しても自分がしたいように関わりあうことができない。シュレッダーは手回し式だから自分でハンドルをまわすのだけれど、ハガキが厚めなせいか随分重たい。無邪気に口をひらかずに静かにしていることを選べるなんて、オトナになったじゃないかと自分を褒めてあげるけれど、心のうちにはもの寂しい虚しさのかけらがザラザラと残っている。




二〇二三年十一月二十日

とにかく気持ちを入れ替えたくて外に出る。三軒茶屋のtwililightでコーヒーをのみ、ポストカードを買う。あるいて下北沢まで出て、B&Bでなほさんが寄稿している『声を灯すZINE BEACON』のvol.3を買い、ビールを飲む。いつかほしいなと思ってメモをとっておいたはずの本たちが目の前にたくさんあるのに、もう手にとれなくなっていて、それがなんだかとっても悔しい。太陽の熱をうしないつつあるこの時間はもう、ビールをのむには寒すぎた。身震いしながら、沈む間際の赤い陽光をにらみつつ350ml缶を傾ける。なにをしているんだろうと、おもう。




二〇二三年十一月二十二日

むかしの先輩たちと呑む。とんでもなく久しぶりだから緊張していたけれど、会ってしまえば昔のまんま。でもみなさん、それぞれワンランク以上肩書きはあがっている。心からちゃんと面白いなと思える会話、ほんとうに久しぶりにしたような気がする。わたしはこの会社の、すくなくともいっしょに働いていた人たちのことはほんとうに大好きだったんだなとおもう。

H先輩は店に入ってきたわたしをみて「よう!」と迎え、さいごは「またな!」と見送ってくれた。なんだかそれが、やたらと嬉しかった。たぶんそれはいまのわたしに、そんなふうに声をかけてくれる人がほとんどいないからなんだとおもう。




二〇二三年十一月二十三日

正直もう人生さっさと終わってほしいという気持ちがあるからね このままあっという間になにもかも過ぎていってほしいな そして最後はずっとずっと、ずっとずっとずっと眠る

とっとと終わって、ぐっすり眠りたい。ずっとずっと、眠る。ずっと、ずっと。わたしも、何をしてても根底ではそうおもっている。




二〇二三年十一月二十七日

健康診断の結果はまた一段と悪化している。さほど不摂生をした心当たりもなくて、どうしろっていうのさと途方に暮れたようなきもちになる。文字と数字からなる書面であなたは不健康ですよと宣告されると、それだけで具合が悪くなってくる。胸の辺りがおもたい。

いま読んでいる吉村昭『海も暮れきる』のなかで、主人公たる俳人・尾崎放哉もちょうどじわじわと病が進行してきている折で、自分に重ねてますます救いのないような気分になってくる。吉村が描く放哉の、心身両面での痛々しさと零落ぶりは、そのままおのれをみているようだなとおもう。御礼や好意ですら自己満足の押しつけでしかないところとか、そっくりすぎて吐き気がする。わかっていても、変えられないんだ。むしろわかってしまっているぶん、苦しさは増す。放哉はそうだったのだとおもうし、わたしのこれからも、これまでと同じように、そうなのだろう。家路をたどりながら、わたしはこれまでも、これからも、取り返しのつかないところまできてから嗚呼こういうことだったのかと得心して、あとのまつりを虚しく笑う人生をあゆむのだなとぼんやりおもう。




二〇二三年十一月二十八日

家路をたどりながら、なんとなくかけてみたハンバート ハンバートの音楽。鼻の奥がツンとするのは、うたのあたたかさのせいか、それとも冷えた夜の空気のせいだったか、どっちだろう。





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