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ひび|2024.01.05




渋々起きあがった。冷凍ごはんをチンして、きのうの豚汁をあたためる。黄色いロウみたいになったラードたちが、すぐにきらきらなスウプに変わってゆく。みかんを皮ごと半分に割って、ふたつみっつくらいの房をまとめて口に放り込む。幼い頃はみかんのすじをなるべく綺麗にとらないと、のどにひっかかりそうで怖かったのをおもいだす。コーヒーを淹れて、シャツにアイロンをかける。

先日わたしの本を買ってくれたKさんから、うれしいことばがたくさん届いている。よろこびすぎないように注意して御礼をしたためながら、ふと日記のことばをすこし、改めようとおもった。一昨日の夜書いた文章を開いて、「信じない」、を、「甘えない」、に書きかえる。だれかのせいじゃないよなとおもう。わたしがうまくいかないのは、わたしのせいでしかないのだから。目覚ましのアラームを消そうとして間違って撮ってしまったスクリーンショットを、iPhoneのアルバムから削除する。ひとつひとつ、一所懸命、生活していこうとおもう。


近所の家の玄関へ続く階段に、白い花がたくさん散っていて結婚式の教会みたい。けれど、よくみたら縛りがあまい燃えるゴミの袋からあふれたたくさんのティッシュだった。電車のなかも、駅のホームも、すっかりスーツ姿と殺伐さが戻りつつある。わたしのすぐ後ろで、年末年始休みと直後の三連休を有給休暇でつなげる「若い奴ら」をおじさんたちがぼやいている。「若い奴ら」、なんて言い出したら人として終わりだよなあと思う。わたしはいま、両方の世界を跨いで立っている。


深夜、帰りの電車には仕事帰りのサラリーマンたちに混じって、たのしそうな残り香をまとった人たちもまだ、ちらほらみえる。きょうは苦手な新年の挨拶を、大嫌いな人にもそうでもない人にも、とりあえず最低限すべきひとにはしたから、もうがんばらない。隣に座っているおじさんが、ずっと苛々と足を踏み鳴らしているのが気になって、あまり本を読み進められなかった。

SNSをひらいたら、去年イベントで知り合ったイラストレーターさんが北陸の人たちをおもって起こしたちいさなアクションが目に留まって、こころが動く。本人は謙遜していたけれど、やっぱりとってもカッコいいことのできる人。わたしの手の中には、彼女みたいにだれかのために差し出せるものなんて何もなくて、ちょっぴり情けなくなる。でもおとといのコンサート会場で、これまで手に取らなかったチャリティー・ポストカードを買い求めたときの強い気持ちには、今までの自分とはちがうなにかが宿っていたような気がしている。とにかく、みんなが、うまくいきますように。





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