シンデレラに羽が生えて飛び立ってった/木村夏樹の覚え書き2022.09

限られた機会で、まさかのライトグリーンセーフ登場

モバマスのサービス終了もいよいよ見えてきて、残されたイベントもあとわずか、登場しようにも機会が限られている中で、まさかのライトグリーンセーフの登場だ。

初期衣装ユニットのライトグリーンセーフは経歴こそ長いものの、これといってユニットのつながりが深いわけでもない、木村夏樹がメンバーと劇場やコミュで交流したこともない。残された時間でユニットとして思い出づくりを今になってやっているように見えるのは穿ち過ぎだろうか。

とは言えど、実はライトグリーンセーフは今年の1月にも登場しており、それ以前の登場も昨年の1月なので、登場頻度としては高い。ロック・ザ・ビートが2年以上モバマスで登場していないことを思えば、むしろライトグリーンセーフの方が定番ユニットかもしれない。

もはや鉄板ユニットの炎陣

木村夏樹がデレステの営業コミュで炎陣として二度目の登場。もとより繋がりの深いメンバーで構成されて、モバマスでもデレステでも登場頻度が高く、ライブやグッズ展開も豊富な炎陣は、もはや定番ユニットを超えた鉄板ユニットだ。

コミュ内容も、また焼き肉の話をしたり、ライブをブッちして不良を〆るなんて、炎陣らしさも全開。向井拓海の凱旋ライブでもあり、木村夏樹もクールでありつつパッションでもあり、メンバーそれぞれの個性も活かされていた。

このユニットだらこその定番のネタがあり、このユニットだからこそ許される掟破りもあり、ユニットメンバーそれぞれの個性も活かされる。こうした他のユニットではなかなかできない強みがあるからこそ炎陣はお馴染みの鉄板ユニットたりえるのだろう、これからも繋がりを大事にしてほしい。

ついにようやく茨城組の観光大使

一年以上前から始まったデレマス観光大使シリーズで、ついにようやく木村夏樹が茨城県出身の面々と共に登場した。アイドルが出身地ごとに組み分けられて観光地を取り上げるシリーズで、オオトリを飾るのが出身地が謎めいた不思議な出身地組だったのを思うと、47都道府県で最後発の茨城県組は、実質的にトリを飾るようなものだ。

木村夏樹にとって茨城要素というと、茨城出身だが納豆が食べられないぐらいしかなかったので、どんな観光紹介になるものかと思っていたが、きれいで楽しげで映える一枚だったので、まぁ、よかった。

編集後記

初期衣装ユニット、お馴染みのユニット、出身地組、こうして見ると2022年9月の木村夏樹は、いつになく幅広く確かな繋がりで、アイドルたちとの交流を図っているようだ。十二分に活動機会の数も質も良かった月だったと言える。

そのはずだが、どうにも自分の胸に高鳴るものがない、自分の心から木村夏樹が離れていくようだ。なぜかと考えると、木村夏樹にとどまらない、そもそものアイドルマスターシンデレラガールズ運営の方向性に理由がある。どうやら自分でも思っていた以上に、その方向性と反りが合わないようだ。

ここ最近のモバマス終了発表から10周年記念アニメ、デレステ周年イベ、そしてライブに楽曲。デレマス運営はメディアを超えて横断的に一貫性のある方向性を示した。

すなわち「過去を確定しない多次元世界の肯定」と「認めてくれなくたっていいよ」である。

モバマスのサービス終了という一つの世界線の終結を見据え、U149のアニメ化が控えているこの時期に、10周年を記念したアニメを作るならば、それはアイドルマスターシンデレラガールズは一つの世界線に収束するのではなく多次元的に展開する世界であり、これまでの過去さえも多次元的であり確定したものではないというメッセージを送るしかない。

そのうえでデレステの周年イベ「MOTTO!」では流行や捻ったコンセプトにチャレンジして、デレマスそのものもSNS上での発信を強化。こうした新しい試みに、これまでのファンもプロデューサーもついてこれないのではないかという懸念を示しつつも、これまでのファンとプロデューサーには別の機会で応えるとして、新しいファンとプロデューサーに届けるためにアップデートするためだから「認めてくれなくたっていいよ」と歌った。

なるほど、確かにデレマスの運営の方向性には一理ある。だがそれはデレマス運営が十分に能力が足りており、アイドル一人ひとりを大事にして、広い展望を持っているならばこそ可能な話だ。

その場その場の思いつきで、これまでアイドルの大事にしてきたものを踏みにじり、積み重ねを崩してきた無責任な運営が言うことではない。

モバマスの終了、それ以前からの運営の能力不足、多次元的な世界線の肯定と過去を確定しないことは、これまで積み上げてきたものが無駄になる予感がある。

過去を確定しない、多次元的な世界を肯定することは、過去を嘘にすることなのか?過去からの成長を否定することなのか?過去から逃げることを、過去を確定しないと言い換えていないか?

過去を確定しないこと、過去を否定しないこと、過去の責任をとらないこと、それぞれは全く別の問題。そして過去を確定しないことで、未来に希望を持てるかどうかもまた別問題。

これからのアイドルマスターシンデレラガールズで、木村夏樹はどう位置づけられるか、何度も何度も過去の積み重ねを否定されて、何度も何度も過去の積み重ねをやり直して、マイナスをゼロに戻す活動ばかりで、過去が未来を照らすこともない木村夏樹の担当としての徒労感から、もういいかなと自然に思った。

木村夏樹にきっと未来はある。でも過去が確定しないことで、これまでの道のりも積み重ねてきたものも、なかったことにされて、木村夏樹が全くの別人になるなら、それを「認めてくれなくたっていいよ」なら、それでいい、俺もプロデューサーを辞めて、ただのオタクになってもいい。

近頃ずっと、こだわりだったはずの前髪を下ろしてばかりの木村夏樹を見ていると、過去を振り返って、あれだけ挑戦してきて、これしか積み上げてこれなかったのだなと、これだけ色々してきたのに何の意味もなかったのだなと、虚無感に包まれる。そのうえ担当として、なにクソと思うだけの、何かがなくなった。ごっこ遊びにマジになれなくなったら終わり。

木村夏樹が俺の中からいなくなった。俺の心の中をいっぱいにしていた木村夏樹がいなくなった。担当アイドルのことで心がいっぱいにならなければプロデューサーってやつはやれないようだ。

もう俺は木村夏樹を求めていない。

寂しくも、諦めがついた、でも、全て承知のうえでアイドルマスターシンデレラガールズから離れてやらない。

おそらく自分で思っていた以上に自分は周年アニメに期待していた、そして自分は心のどこかでプロデューサーをやめる理由を求めていた。

周年アニメがプロデューサーとしての俺の心に爪痕を残して、プロデューサーとして奮い立つような殺意を期待していた。

それが周年アニメで木村夏樹が、ほんの僅かな登場でその役割も他の誰でも良かった不満足であったこと、そして周年アニメそのものがデレマス全体で一貫性のある方向性を示すための、ひとつの手段でしかなかったこと、その方向性そのものに違和感を覚えたことから、心のどこかで求めていたプロデューサーをやめる理由を後押しした。

そして気がついてしまった。

意地になってプロデューサーを続けるよりも、単なるデレマスのオタクであるほうが精神衛生的に楽であることに

多次元的な世界で過去という靴を忘れて飛び立ったシンデレラは幸せかもしれないことに

だけど、いやだからこそ俺も案外あっさりプロデューサーに戻るかもしれない、でも今はプロデューサーをやめる。

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