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菊池信一への手紙を読み解く 5 謎の農林省訪問

宮沢賢治から教え子の菊池信一あての手紙を読み解き、賢治の考えや、当時の農業技術について考えます。

賢治の手紙

書簡239 「1928年7月3日 菊池信一あて封書」 倒れる前の賢治の予定
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202107250000/

いつもは資料に基づいて考察しますが、今回は、資料が未発見なので、妄想であることをご了承ください。

賢治農林省訪問のメモ

前回、ご紹介したとおり、1928(昭和3)年6月19日、20日のメモから、賢治が農林省を訪問した可能性があります。
正確には、「農商ム省」とメモされていますが、1925(大正14)年に農商務省は、農林省と商工省に改組されていますので、誤記と思われます。

妄想1 農林省技術者との交流

さて、ここからは妄想です。

二つの可能性を想像してみます。

一つは、手紙に「技術者たちといっしょに働いて」とあるように、農林省の技術者に会って、最新の農業技術などについて情報交換した可能性です。

妄想2 農林省官僚との農地解放の密談

二つは、賢治と農林省の官僚が、農地解放について、情報交換した可能性です。

農地解放を巡る警察と農林省の対立


農地解放は、戦後、GHQ(連合国総司令部)の指示により、大地主の農地を、小作人に安く売り自作農を育てた政策として有名です。


しかし、農林省は、戦前から農地解放を計画していました。

地主が高い小作料を取るため、小作農は、化学肥料も農薬も農業機械も新しい品種も買えず、農林省が理想とする先進的農業が普及できなかったため、地主制度を改革したいと考えていました。


しかし、警察は社会の変化を恐れ、農林省の動向に目を光らせていました。賢治の死後になりますが、社会主義者の疑いで農林省の官僚を逮捕する事件も起きています。

社会主義政党支持者で小作農を支援していた賢治

一方、賢治も、羅須地人協会で化学肥料の使用を普及したり、社会主義政党労農党員の小作農を集めて無料肥料相談会を開いたり、活動資金をカンパしたりしていました。警察の取り調べを受けてもいます。

妄想 農林省官僚と賢治の密談

賢治が農林省官僚に連絡し、農地解放、小作人待遇改善について、話し合い、警察を恐れて、資料はすべて破棄した。そのため、資料が現存しない。

そんな妄想を楽しんでみました。

次回は、菊池信一書簡の最終回です。

#宮沢賢治 #菊池信一 #書簡 #手紙 #農林省 #農地解放 #労農党

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