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賢治先生の北海道修学旅行 4日目 5月21日午前 北海道帝国大学で大歓迎

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。北大植物園、中島公園を見学、札幌駅前の山形屋旅館に宿泊。21日午前はビール工場、製麻工場を見学したあと、北海道帝国大学に向かいました。


(引用開始)


一行は午前十時半北海道帝国大学に至る。
門を入るや学生二名出迎へ講堂に案内す。此の日総長 旅行出発を延期して一行を待つ。蓋しその花巻出身なるによる。


(引用終了)


北海道帝国大学初代総長、佐藤昌介は、盛岡藩士の息子で、花巻出身でした。札幌農学校一期生でクラーク博士に学び、教授、校長、日本初の農学博士となり、札幌農学校を北海道帝国大学に昇格させた偉人でした。この年、1924(大正13)年6月に勲一等を受けるぐらい地位の高い人ですが、わざわざ旅行の出発を延期してまで、修学旅行一行を待っていてくれました。ふるさとを大事に思う人だったのでしょう。
写真はWikipediaより。

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(引用開始)


即ち総長より生徒に対し一場の訓辞あり。
要旨まづ新開地と旧き農業地とに於る農業者の諸困難を比較し殊に后者に処して旧慣幣風を改良し日進の文明を摂取すること棒茨の未開地に当るよりも難く大なる覚悟と努力とを要する所以並に今日は大切なる農業の黎明期にして実に斯土を直ちに天上となし得るや否や岐れて存する処なりといふにあり。


(引用終了)

佐藤総長は生徒たちに訓辞をしました。
北海道の開拓にくらべて、むしろ本州のように古い習慣の残る地域のほうが、日進月歩の文明の成果を取り入れて農業を改良することが難しい、と佐藤総長はいったようです。いま、この大正時代は、新しい農業の夜明けの大切な時代であり、郷土を天国のような素晴らしい土地にできるか、どうかの分岐点だ、という話だったようです。

(引用開始)


引卒者は立ちて答辞を述べそれより学生食堂に於て菓子牛乳の饗を受く。牛乳甘美にして新鮮且つや勧の切なるまゝに恐らくは各人一立を超ゆるまで総長の好意を辞せざりしが如し。


(引用終了)

賢治先生は立ってお礼を述べました。
それから、学生食堂に案内されて、お菓子や牛乳のもてなしを受けました。大学の農場の新鮮な牛乳で、とても美味しかったのでしょう、すすめられるままに、ひとり1リットル以上飲んだようです。

北海道のお菓子と牛乳、最高のおもてなしですね。

賢治先生も生徒たちも佐藤総長の好意に感激したようです。

次に一行は大学内の水産標本室を見学します。

(引用開始)


終て各学部を参観す。清楚なる芝生と黒き楡の間馬蹄形に配置せられたる教室中先づ水産標本室を見る。鯡の年齢を鱗の輪によって数ふる恰も家畜の年齢を歯によりて見分くるが如き、又養魚池に人造肥料を施与し燐酸の成績顕著なる恰も麦の圃場試験に類せる、又海水中数知らぬプランクトンの統計や模型等その土壌微生物との対照その他興趣甚深し。


(引用終了)

また「清楚なる芝生」と芝生を誉めています。
水産標本室では、ニシンの年齢、養魚池へのリン酸肥料散布、プランクトンの研究成果を見学しました。「鰊」は良く使いますが「鯡」もニシンのことなのですね。
展示されている北大の水産学の研究成果と、農学校で教えている農学・畜産学との関連が、賢治先生の関心を引いたようです。

現代の農業技術は高度化、細分化が進んでいます。現代の農業技術者は細かな違いを観察することを心がけていて、分野の違うものの共通点に気づくことには、疎い傾向があるような気がします。水産学など近接する学問分野の研究成果と、農学の成果との共通点について、関心を持つ必要を感じました。

なお、明治時代の札幌農学校後期キャンパスの校舎である、旧昆虫学養蚕学教室が当時の位置に遺されているようで、当時の校舎の姿をしのぶことができるようです。写真はWikipediaより。

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水産標本室のあとは農学部温室を見学します。

(引用開始)


次に農学部温室を視る。温室中桃実熟し蕃茄胡瓜花謝して既に盛夏の情あり。特に温泉地方出身の生徒に温度湿度等を注意せしむ。温泉を利用しグラスハウスを設け斯の種促成栽培を行ふこと浅虫の例もあればなり。


(引用終了)

農学部の温室では、5月の北海道だというのに、まるで真夏のように、桃の実が成り、トマトやキュウリの花が咲いている様子を見ました。

特に温泉地方出身の生徒たちには、温度や湿度を注意してみるよう指導しました。青森県青森市浅虫温泉地区で、ガラス温室で野菜などの促成栽培をしている例を話し、岩手県の温泉でも応用を考えるように指導したものとみられます。

賢治の教え子で稗貫農学校第一期生、修学旅行の生徒たちの先輩の、冨手一(とみてはじめ)氏は、花巻温泉株式会社園芸部に就職し、温泉を活用した温室でバラなど園芸植物を栽培する仕事をしていました。そうしたことも賢治先生の念頭にあったと思います。

次に、農場、畜舎、医学部を見学します。

(引用開始)

農場未だ播種匆々にして見るべきなし。唯亜麻の連作跡地土色まで異れるあり。

(引用終了)

残念ながら、5月の北海道は種まきをしたばかりで、農場はあまり見るものがなかったようです。
亜麻の連作をした畑で、土色が変わっていたとの記述があり、調べましたがよくわかりません。亜麻は、連作に弱い作物で、小麦や大豆などの畑作物との輪作で6~7年おきに作るのが望ましいようです。

(引用開始)

去て畜舎に入る。牛はみな給飼搾乳新式の固定器によりて危険なく操作せらる。

(引用終了)

畜舎では、牛が新式の固定器で固定されていて、エサをやったり、乳をしぼったりするときに、蹴られたり、踏まれたりする危険がなく、安全だと感心しています。
北大では、1918(大正7)年に牛舎を焼失して建て直した設計図が保管されていて、そこにはスタンチョンとの書き込みがあるそうですので、固定器とは、スタンチョンのことと思われます。

スタンチョンとは
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3

設計図は、中井和子氏ほか著「北海道帝国大学第一農場のギャンブレル屋根牛馬舎について」より

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(引用開始)

次で医科教室に到る。医学諸標本解剖中の人体腹部等甚常識に資せり。

斯て大学を辞し農事試験場参観の予定なりしも時期未だ早く見学その効なきを以て直ちに電車に乗じ中島公園の植民館に赴く。

(引用終了)

なぜか医学部も見学して、人体標本を見たそうです。

このあと、農事試験場を見学する予定でしたが、大学農場と同じで種子をまいたばかりで見るものがないだろうと考えたのでしょうか、予定を変更します。電車で中島公園の植民館に向かいます。





#宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #農業教育 #札幌


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