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菊池信一への手紙を読み解く1

前回は、宮沢賢治から教え子の菊池信一あての手紙を紹介しました。

菊池信一への手紙

書簡239 「1928年7月3日 菊池信一あて封書」 倒れる前の賢治の予定


この手紙を読み解いていきます。
当時の農業技術や賢治の考えを垣間見ることができます。

教え子から本を借りた賢治

「肥料の本を自働車に頼んで置いてそれがしばらく盛岡行をやめて届かなかったのでまだ手許にあります」
「肥料の本もそのときはお返しいたせます。」

賢治は、菊池信一から肥料の本を借りていたようです。賢治は農業関係の多数の蔵書を持っていたことで知られています。教え子から本を借りていたとは意外な気がします。菊池が賢治の教えを受けてよく勉強していたことの現れなのでしょう。

追肥をあきらめる賢治

「ちゃうど追肥を調べる時季ですが」
「追肥だけはみんなやらないことにしようと思ひます。どの肥料もまだ殆んど利いてゐないのです。」

1950年代に松島省三博士が現代の水稲追肥理論を完成させるまで、近代稲作は基肥重視でした。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202012130001/

基肥重視には、初期生育を促すよい面があります。いっぽう、なかなか肥料が利かない場合、稲の草丈が延びすぎになりがちな7月上中旬になってから肥料が利きはじめる恐れがあります。草丈の延びすぎは倒伏につながります。この時期の賢治の詩には稲の倒伏に関するものが多くみられます。

次回も賢治の倒れる前の予定と、当時の農業技術について考えます。

#宮沢賢治 #菊池信一 #書簡 #手紙

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