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賢治先生の北海道修学旅行 5月19日 2日目 函館

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

一行31名は、1924(大正13)年5月18日午後9時前に花巻駅を出発。

https://note.com/cxq03315/n/nd4673f954098

青森駅・港から約5時間の船旅を終え、5月19日午後1時前に函館駅・港に到着します。出発から約19時間をかけて、ようやく北海道に上陸しました。


写真は多くの客船、貨物船、漁船で賑わう1930年ごろの函館港です。

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函館では、都市ガスの工場と、肥料の過燐酸石灰の工場を見学しました。


大日本人造肥料株式会社函館工場は、関東大震災で倒壊した横浜工場の生産を補うためフル稼働していました。同行の白藤慈秀教諭は、酷熱のなか多数の工場労働者が働く様子に強い印象を受けた日記を残しています。
しかし、賢治はあまり関心をしめしたようすがありません。また、小説「或る農学生の日誌」でも下記に引用したとおり、簡単にしか書かれていません。

(引用開始)
それからひるは過燐酸の工場と五稜郭。過燐酸石灰、硫酸もつくる。
(引用終了)

この工場は、製品肥料に有毒な不純物が残りやすい、当時すでに古い製法であった「鉛室法」を採用していました。そのため賢治の興味を引かなかったのかもしれません。
実際、老朽化していたこの工場は、この約3か月後の1924(大正13)年8月に漏電火災で焼失してしまいます。

五稜郭のあと、列車の待ち時間に夜の函館公園を見学します。公園は花見で大いに盛り上がっていました。創作意欲を刺激された賢治は詩「函館港春夜光景」を書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102200001/

小説「或る農学生の日誌」でも肥料工場より函館公園を多く描写しています。

(引用開始)
いま汽車は函館を発って小樽へ向かって走っている。窓の外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢のようだ。
巨きな桜へみんな百ぐらいずつの電燈がついていた。それに赤や青の灯や池にはかきつばたの形した電燈の仕掛しかけものそれに港の船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜からよく寝ないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色は忘れない。
(引用終了)

一行は、午後11時15分函館駅発の夜行列車に乗り、小樽へ向かいました。花巻駅を出発してから約27時間、2回目の車中泊です。一度も宿には泊まっていません。
この強行軍では、若い生徒たちもさすがに疲れたことでしょう。

いよいよ次回は最初の目的地で、復命書にも記述のある、小樽です。

https://note.com/cxq03315/n/n384bc1f31e5d

#宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #或る農学生の日誌 #農業教育 #函館 #函館公園 #函館港春夜光景

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