宮沢賢治は死の1か月前に「キャベヂの虫を拾ふ」と書いた
宮沢賢治は死の1か月前に「キャベヂの虫を拾ふ」と書いた
1933年8月23日、今から90年前、36歳で死の約1か月前の宮沢賢治は、詩人母木光に手紙の返事を書いたそうです。
「どうか早く大広場で華々しくやってみせて下さい。
たゞおからだだけは生意気な申し分ですがあくまでお大切にねがひます。
何でも、何か書いてしまったあと胸につかえたものが残ってゐるやうなら
それを消してからでないとあと書いてはいけないやうです。
それははじめはたゞの感じだけのやうでもだんだん溜って重くなってくると
きっと胸へ何か悪いものがやってくるらしいです。
昔の漢詩人たちなど、この溜ったものを原動力にして更に仕事し、
慷慨の歌悲傷の歌を生々と作りだしたりしたやうですが、
たしかにこれはある点を超えてはとりかへしのつかないものになるやうです。
寧ろ時々に白雲中に薬をとったり、
夕陽に些少の薪を負ひ、
日中にキャベヂの虫を拾ふといふ風にしながら
読書述作を重ねられたら
どこまでも疲労といふことなしに進まれるだらうと思ったり、
人のことですからいろいろ勝手に考へてゐる次第、
私のかういふつまづきに免じて悪しからずご了解ください。 まづは。」
hamagaki様の「賢治日めくり」より引用
https://ihatov.cc/today/8_23.htm
もちろん宮沢賢治は結核の原因が結核菌であることは知っています。
この手紙では創作上のストレスが睡眠不足などを通じて体力を低下させ病気にかかりやすく、治りにくくなるという体験を語ったのでしょう。
農業技師として注目したいのは、理想の暮らしとして「キヤベヂの虫を拾ふ」と書いていることです。
宮沢賢治は、岩手県でキャベツの作付を普及するという国家方針に逆らって、京浜地方で需要が伸びていたハクサイを普及し戦った経歴があります。
その苦しさが反映されています。
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