宮沢賢治 作 「もうはたらくな」水稲倒伏の詩の代表作
倒伏を描いた作品群の代表
1927(昭和2)年8月20日の水稲の倒伏を描いた一連の詩の代表作が、この「もうはたらくな」です。
「ぢしばりの蔓」との比較
前々回、ご紹介した「ぢしばりの蔓」とくらべて、やや表現が穏やかに、やや分析的になっています。
宮沢賢治 作 「ぢしばりの蔓」8月の豪雨と倒伏。保険金での弁償。
https://note.com/cxq03315/n/n316a979edcc9
「ぢしばりの蔓」では、
「おれの教へた稲」となっていた部分が、
本作では、
「おれが肥料を設計し/責任のあるみんなの稲が」
と、謙虚な表現になっています。
「夜明けの雷雨が」と簡素だった部分が、本作では、「この半月の曇天と/今朝のはげしい雷雨のために」とより詳細に倒伏の原因を分析しています。
「働くことが却って卑怯なときもある」の部分が、
「働くことの卑怯なときが/工場ばかりにあるのでない」とかわりました。
この時代流行した工場労働者を描いたプロレタリア文学と、都会の読者を意識したのかもしれません。
(本文開始)
一〇八八
一九二七、八、二〇、
もうはたらくな
レーキを投げろ
この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために
おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が
次から次と倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ
働くことの卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない
ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかさうとする、
卑しいことだ
……けれどもあゝまたあたらしく
西には黒い死の群像が湧きあがる
春にはそれは、
恋愛自身とさへも云ひ
考へられてゐたではないか……
さあ一ぺん帰って
測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし
頭を堅く縄(しば)って出て
青ざめてこわばったたくさんの顔に
一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け
どんな手段を用ひても
辨償すると答へてあるけ
(本文終了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?