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賢治先生の北海道修学旅行 3日目 5月20日午後 植物園の芝生に憧れる生徒たち

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。

https://note.com/cxq03315/n/nd4673f954098

鉄道と青函連絡船を使って函館、小樽と見学しました。この間車中泊2日の強行軍です。
5月20日午後1時40分ついに、札幌駅に到着しました。

(引用開始)
午后一時四十分今次旅行の眼目
札幌市に着く。
先づ駅前山形屋旅館に宿泊を約し直ちに大学附属植物園に行く。途中その街路の広くして規則正しきと、余りに延長真直に過ぎて風に依って塵砂の集る多き等を観察す。
(引用終了)


札幌駅前の山形屋旅館で宿泊予約をします。
山形屋旅館は、残念ながら、1970(昭和45)年に解体移転、1979(昭和54)年に廃業したそうです。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000214362

nakano atsushi 氏の写真サイト「「CAXTON」個人写真集」に山形屋旅館の写真がありました。
http://caxton.sakura.ne.jp/sappro/sappro/web-content/yamagataya/yamagataya.html

札幌の広くて碁盤の目状の道路は、現代でも他県から来た人には驚きですが、当時の岩手県花巻から来た生徒たちはさらに驚いたことでしょう。

道がまっすぐすぎて、チリや砂がたまる、というのは面白い観察です。昭和生まれの私は、昭和後期の札幌でスパイクタイヤ粉塵がひどかったことを思い出します。賢治の当時は馬車の粉塵がひどかったのかもしれません。

北海道大学附属植物園は、札幌駅から徒歩10分の便利な場所にありながら、広大な園内では明治以前の札幌の自然を感じることができると、今も人気の施設です。

植物園のホームページです。
https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/g_aboutus.html

植物園の芝生に生徒たちが感激します。

(引用開始)
植物園博物館、門前より既に旧北海道の黒く逞き楡の木立を見、園内に入れば美しく刈られたる苹果青の芝生に黒緑正円錐の独乙唐檜並列せり。下に学生士女三々五々読書談話等せり。歓喜声を発する生徒あり、我等亦郷里に斯る楽しき草地を作らんなど云ふものあり。
(引用終了)


苹果青の芝生は、現代ではアップルグリーン色の芝生、といったほうがわかりやすいかもしれません。
独乙唐檜は、ドイツトウヒ、ヨーロッパトウヒとも呼ばれる、クリスマスツリーに使われる樹木です。写真はWikipediaからです。

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姿の整った樹木に囲まれ、美しい芝生に座って、読書や談笑する男子学生、女子学生のようすは、花巻農学校の生徒たちに強烈な印象を与えたようです。ふるさとにこんな楽しい草地(公園)を作りたいと叫ぶ生徒もいました。


近くの花巻高等女学校の生徒から、学校の規模が小さいことなどから「桑っこ大学」と揶揄されていた花巻農学校の生徒たちの、理想を求めて夢見る気持ちが感じられます。

植物園の植物と賢治作品との関連をみてみます。
修学旅行の2か月前に賢治は、ドイツトウヒなどを植えた庭を結婚間近の青年に作ってあげる内容の詩「丘陵地を過ぎる」を書いています。生徒たちに将来、庭園を作ってあげたいと、修学旅行の準備をしながら賢治は考えていたのかもしれません。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102270001/

樹種はスギとブナですが、植林と公園の話である童話「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」も書かれた年代が修学旅行と近いと考えられます。童話の主人公は知的障がい者の青年で、生徒たちとは特に関係はないようですが、樹木と公園という点では、復命書とこの童話の関係も考えられます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46601_33328.html

次回は、植物園内の博物館を見学します。


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