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賢治先生の北海道修学旅行 最終日 5月23日

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。札幌では20日と21日に、北大植物園、北海道帝国大学などを見学し、21日夜に苫小牧に到着。22日は室蘭から青森行きの客船に乗りました。


一行は、1924(大正13)年5月23日午前4時20分、室蘭からの客船で青森港に着きました。

賢治は、青森近くの海を見ながら、詩「冷たい海の水銀が」を書いたとみられます。

(本文開始)

一三三
        一九二四、五、二三、
つめたい海の水銀が
無数かゞやく鉄針を
水平線に並行にうかべ
ことにも繁く島の左右に集めれば
島は霞んだ気層の底に
ひとつの硅化花園をつくる
銅緑(カパーグリン)の色丹松や
緑礬いろのとどまつねずこ
また水際には鮮らな銅で被はれた
巨きな枯れたいたやもあって
風のながれとねむりによって
みんないっしょに酸化されまた還元される

(本文終了)

青森駅発午前6時15分の東北本線上り列車に乗り、約7時間半後の午後1時49分に花巻駅に着きました。

5月18日夜から23日午後まで、6日間、車中泊2回(花巻青森間、函館小樽間)、宿泊2回(札幌、苫小牧)、船中泊1回(室蘭青森間)の強行軍でした。

たいへん疲れたと思います。
しかし、27才の若い賢治は、花巻でその日に詩「夏」を書いています。

(本文開始)
一三九
   夏

        一九二四、五、二三、
木の芽が油緑や喪神青にほころび
あちこち四角な山畑には
桐が睡たく咲きだせば
こどもをせをったかみさんたちが
毘沙門天にたてまつる
赤や黄いろの幡をもち
きみかげさうの空谷や
だゞれたやうに鳥のなく
いくつもの緩(ゆる)い峠を越える

(本文終了)

復命書で賢治先生は、こう書きました。「若し生徒等この旅を終へて郷に帰るの日新に欧米の観光客の心地を以てその山川に臨まんか孰れかかの懐かしき広重北斎古版画の一片に非らんや。」
旅によって、ふるさとの景色を新たな気持ちで見て感じることができる、ということだと思います。


旅を終えて気持ちを新たに故郷の風景に向き合ったのは、生徒たちだけではなく、賢治先生も同じだったようです。

今回で賢治先生の北海道修学旅行復命書の読み解きは、一応終了です。おつきあいいただきありがとうございました。

#宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #つめたい海の水銀が #夏

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