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宮沢賢治 作 「朝餐」 イーハトーブのパンケーキは南部煎餅?

宮沢賢治のパンケーキの詩をご紹介します。昭和の半ば生まれの私は、ついホットケーキと呼びたくなります。

賢治は1925(大正14)年4月25日の農学校教師時代にパンケーキの詩を書いています。
1926(大正15)年2月1日に雑誌「虚無思想研究」に掲載されました。余談ですが、この雑誌は、今、再放送中の朝ドラ「あぐり」の主人公の夫のモデルである小説家吉行エイスケが主宰していました。賢治は一般には文学的に無名でしたが、一部の文士には高く評価されていました。

この詩では、具のないお焼きに近い、小麦粉と塩だけのシンプルなパンケーキでしょうか、農家の父親?が炉ばたで子どもに食べさせています。
パンケーキは貴重な米を節約するための小麦の利用法でしょう。

(本文開始)

     心象スケツチ朝餐

             宮澤賢治

小麦粉とわづかの食塩とからつくられた
イーハトヴ県のこの白く素樸なパンケーキのうまいことよ
はたけのひまな日あの百姓がじぶんでいちいち焼いたのだ
  顔をしかめて炉ばたでそれを焼いてると
  赤髪のこどもがそばからいちまいくれといふ
  あの百姓は顔をしかめてやぶけたやつを出してやる
  そして腹ではわらつてゐる
林は西のつめたい風の朝
味ない小麦のこのパンケーキのおいしさよ
わたくしは馬が草を喰ふやうに
アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに
すきとほつた空気といつしよにむさぼりたべる
こんなのをこそ Speisen とし云ふべきだ
  ……雲はまばゆく奔騰し
    野原の遠くで雷が鳴る……
林のバルサムの匂を加へ
あたらしい晨光の蜜を塗つて
わたくしはまたこの白い小麦の菓子を食べる

(本文終了)


実は、この詩の下書きがあります。

ここでは、現実の岩手県の「せんべい」いわゆる南部煎餅が描かれています。出稼ぎの鉱山の発破作業で障がい者となった農民が農村に煎餅店を開いて収入を確保しようとしています。父親でなく店主が近所の子どもにせんべいのカケラをあげています。

パンケーキも南部煎餅も、どちらも原料は小麦粉で、冷害で米(イーハトーブではオリザ)が凶作になりやすい地方では重要な食糧です。

英語では煎餅はクラッカー(cracker)、エスペラント語ではセンベージョ(sembejo)と訳されるようですが、賢治の頭の中のイーハトーブでは、煎餅はパンケーキになるようです。

岩手県の南部煎餅が、焼き方と水分量をかえて、イーハトーブ県のパンケーキになったのかもしれません。あるいは、まったくそのまま、南部煎餅がパンケーキなのかもしれません。

(下書き 本文開始)
五一五
     朝餐
          一九二五、四、五、   
苔に座ってたべてると
麦粉と塩でこしらえた
このまっ白な鋳物の盤の
何と立派でおいしいことよ
裏にはみんな曲った松を浮き出して、
表は点の括り字で「大」といふ字を鋳出してある
この大の字はこのせんべいが大きいといふ広告なのか
あの人の名を大蔵とでも云ふのだらうか
さうでなければどこかで買った古型だらう
たしかびっこをひいてゐた
発破で足をけがしたために
生れた村の入口で
せんべいなどを焼いてくらすといふこともある
白銅一つごくていねいに受けとって
がさがさこれを数へてゐたら
赤髪のこどもがそばから一枚くれといふ
人は腹ではくつくつわらひ
顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった
林は西のつめたい風の朝
頭の上にも曲った松がにょきにょき立って
白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ
競馬の馬がほうれん草を食ふやうに
アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに
すきとほった風といっしょにむさぼりたべる
こんなのをこそ speisen とし云ふべきだ
   ……雲はまばゆく奔騰し
     野原の遠くで雷が鳴る……
林のバルサムの匂を呑み
あたらしいあさひの蜜にすかして
わたくしはこの終りの白い大の字を食ふ

(本文終了)

上記の詩には現代では障がい者への差別ととられかねない注意すべき表現「びっこ」が使われています。しかし、文学作品の価値と、作者が差別表現として用いていないことが明らかであること、を考慮し、原文のまま引用しております。

画像の南部煎餅はいらすとや様からいただきました。

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