1918年3月15日 宮沢賢治が盛岡高等農林学校を卒業

1918年3月15日 宮沢賢治が盛岡高等農林学校を卒業
2023.03.15

1918年3月15日21歳の宮沢賢治は盛岡高等農林学校得業証書授与式に出席し農学科第二部(化学系のコース)の総代として得業証書を受け取り無事卒業しました。

前日親友保阪嘉内の後を追って退学も考え教授たちに抗議した賢治ですが式は無事終了しました。

hamagaki様の 賢治日めくり より
https://ihatov.cc/today/3_15.htm

のちに宮沢賢治はこの卒業式をヒントに短編小説「大礼服の例外的効果」を書きました。

青空文庫より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/48223_32261.html

「大礼服の例外的効果」では宮沢賢治が反映された優秀だが「校長」からみて扱いにくい学生「富沢」が登場します。

富沢の言動に校長が右往左往する様子が校長の立場から描かれます。

一方の富沢は校長の豪華な大礼服に素直に感激しているだけでした。

短編小説「大礼服の例外的効果」には盛岡高等農林学校の卒業式を通じて宮沢賢治が感じた、

学生の動向に右往左往する教授たちの滑稽さ、

親友の退学に抗議して欠席自主退学も検討しながら卒業式で総代を務めそれなりに感激してしまう自分の単純さ、

が面白く描かれています。

宮沢賢治/大礼服の例外的効果より

校長はきまり悪さうにちょっとうつむいて眼をそらしながら自分の手袋をかけはじめた。

その手はぶるぶるふるえた。

校長さんが仰るやうでないもっとごまかしのない国体の意義を知りたいのです

と前の徳育会でその富沢が云ったことをまた校長は思ひ出した。

それも富沢が何かしっかりしたさういふことの研究でもしてゐてじぶんの考へに引き込むためにさう云ってゐるのか

全く本音で云ってゐるのか、

或は早くもあの恐ろしい海外の思想に染みてゐたのか

どれかもわからなかった。

卒業の証書も生活の保証も命さへも要らない
と云ってゐるこの若者の何と美しくしかも扱ひにくいことよ

(略)

校長の大礼服のこまやかな金彩は明るい雪の反射のなかでちらちらちらちら顫へた。

何といふこの美しさだ。

この人はこの正直さでこゝまで立身したのだ

と富沢は思ひながら恍惚として旗をもったまゝ校長を見てゐた。

(引用終了)

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