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あなたは「スマホ教室」を笑っていられるか

いまスマホがなんの苦もなく使えてる僕たちは、「スマホ教室」と聞いて鼻で笑うかもしれない。

でも、スマホのデザインの流れを振り返ってみると、本人が気がつかないレベルの小さい学習を無意識に繰り返せる世界線をたまたま選んできただけで、うっかりしてると明日は我が身なんじゃないかと思った。

みんなにスマホを使ってもらうための工夫=「スキューモーフィズムデザイン」

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転載:https://www.cleveroad.com/blog/flat-design-vs-material-design-how-different-they-are

最初、iPhoneが普及しはじめたころは、「スキューモフィズムデザイン」と呼ばれる「他の物質に似せたデザイン」がなされていた。上記の画像でいうと左側のボタン。右に比べると物理的にすっごい押せそうだよねえ。(ちなみに右のボタンは「フラットデザイン」と呼ばれる)

これはなぜかというと、当時(10年くらい前)はみんなガラケーをポチポチしていて、タッチパネルもぜんぜん身近じゃなかった。だから、使い慣れないものをスムーズに使ってもらうために、現実にある物質に似せてデザインをすることで、操作方法で迷わせてもデザインでは迷わせない工夫がなされていたのだ。

これによって僕たちは「あー、スマホってこうやって使うのね」と学習し、無意識に使いこなしていくことができたのだ。

「フラットデザイン」によって、表現の自由度がブチ上がった

その後、スマホは爆発的に普及しつづけた。デザインはどんどん進化し、「フラットデザイン」に移行する。

「あー、スマホってこうやって使うのね」と操作に慣れたユーザーに対して、次はデザインの進化を提供されたのだ。フラットデザインは、現実に存在するものの物質的な限界を超えて、コンピュータならではの表現の自由度や柔軟性の高さをフルで活かしていこうとする流れだった。

主要アップル製品のデザインを手がけてきたジョナサン・アイブというつよいデザイナーがいて、フラットデザイン導入時に「ユーザーがタッチインターフェースに慣れたので物理的なボタンを模倣する必要がなくなった」と言ってたりする。(参考:UI GRAPHICS - 世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェースデザイン

ぼくたちは無意識にデザインを学習させられている

普段から使ってるひとからすると、アップデートのたびに「なんかちょっとデザイン変わったね」くらいの印象しかないけど、小さなアップデートを繰り返して、気づいたら大きな変化になっている。

僕たちは無意識のうちにスキューモフィズムデザインを経験して、フラットデザインを経験して、といった具合に無意識に少しずつ学習させられている。少しずつ慣れてきたから、新しい機種もそれほど違和感なく無意識に取り入れることができた。

シニア向けのスマホ教室が流行る理由

ここでふと思ったのは、シニア向けのスマホ教室が流行る理由。スマホが爆発的に普及しはじめて10年くらい経つわけだけど、ようやくスマホに乗り換えたというひとも少なくない。

しかし彼らはスキューモフィズムを経ずに、いきなりデザインの進化を目の当たりにするのだ。10年かけて変わり続けたものを突然渡されるわけだから、そりゃあわかんないよねえ。娘・息子に聞いても嫌な顔されるし、それならスマホ教室行こうか、となる。

でもこれって、時代の流れにしっかりついていけていれば、自然に学習できて、わざわざ教室に通わなくてもいい世界線もあったのかもしれないな、と思う。

「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」なのかもしれない

私は仕事柄、地方の様々な業種の老若男女と出会うのだけど、パソコンのドラッグ&ドロップを知らないシニア層の方が少なくないと感じる。

パソコンが大きく普及したのはwindows95の頃なので25年前だし、いま60歳の人だったら当時35歳だったわけだ。この頃によくわかんないし、若いやつに任せとけばいいんじゃないってことで、「パソコンを使わない世界線」を選んだひとが、いつの間にか時代に取り残されてしまっている。

現状で「なんとなくよくわからないから」と遠ざけてしまっているものがあるとしたら、いつの間にか手遅れになってしまうものなのかも。仮想通貨、5G、AR、VRなどいろいろなものが出てきているけど、しっかり触れているかというと自信が持てないひとも多いんじゃないかな。

「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」というけど、なにか新しいものはとりあえず使ってみる精神を大切にしたい。将来の「スマホ教室」にお世話になっているのは、もしかしたら自分かもしれない。

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