・公正中立という機能を失い、権力の広告番組となった報道 「権力に相槌を打つイエスマンとなったマスコミ」

・マスコミの機能不全の次に起こること

自民党内の権力争いの様相をまるでスポーツ中継か賭博予想のごとく取り扱う。具体的にどのような政策を行い、具体的にどのような問題に対してはどのような対応を行うのかというようなことについては、うっすらとしか語らない。与野党での討論のようなものもほぼない。

本来であればマスコミも含め様々な勢力が具体的な問題について激論を交わすべきであるがそれが全くない。ただ何々派がどうの誰々と会っただの、そんな内輪でのゴタゴタに終始し、あまつさえ「休日はどう過ごされますか」などという冗談みたいな質問で笑っている。

ただうっすらと一言二言スローガンのようなものを掲げて終わり。野党はそもそも報道に出ない。延々と中身の無い与党の内輪談義に終始してこれでどうやって国民の理解を深めようというのか。

日本のマスコミは本来報道に求められる「真実を掘り下げて大衆に知らせる」ことから大きく逸脱し、それどころか全く真逆の「真実を遮蔽して大衆の思考を阻塞する」ということを行なっている。

これは単なるマスコミの能力不足だけの問題ではない。2016年に国連特別報告者が来日して以降たびたび指摘されているように、日本では現在政権による報道への圧力が非常い強い。具体的には報道内容に対するクレームや、さらには報道できなくするというほぼ「脅迫」レベルの行為までもが行われている。

この状態はすでに権力の暴走段階に入っており、危機的でありかつ極めて回復困難な状況だ。もはや大手マスコミにこれをはねのける力は残っていないと思われる。もうこの暴走を大手マスコミが止めることはできない。

そしてマスコミの次は我々国民だ。次に、我々国民が強力に監視され弾圧される番が来る。権力にとって邪魔なのは「都合の悪いことを言う連中」であり、それは報道だけでなく我々国民にも当てはまるからだ。

物事には順序というものがあり、「都合の悪いことを報道する者」が徹底的に排除されたように「都合の悪いことを言う国民」もまた同じように排除される。権力にとって好ましいのは「中身の無い報道をする者」と、大事な政治や国政を「スポーツ観戦のように外から眺める国民」である。

政局や政治はオリンピックやスポーツ観戦とは違う。外側からワーワー言って眺めるのではなく我々国民一人一人がよく考え、調べ、自ら「参加」し自ら動かすものだ。そのことをしっかりと認識できなければ、間も無く外側からワーワー言って眺めることもできなくなるだろう。

幸か不幸かこのような流れは今初めて起こったものではない。報道が機能不全になったとはいえまだ個人で調べることはできる。我々国民は今起こっていることと、これから起こることをよく調べ知り、何をするべきかしっかりと認識しなければならない。

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