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キャリアバラエティvol.52 有政雄一さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、広島で小さな農家が丹精込めて作った野菜を地元の飲食店に配送する「まごやさい」を運営されている有政雄一さん。人材サービス会社で営業やカウンセラーを長く務められた有政さんのこれまでのことや今の事業を起こすきっかけ、これからのことをお聞きしました。


【有政雄一さんのキャリアバラエティ1/5】

広島県安芸高田市出身の有政さん。電話工事を請け負う会社で仕事をしていた両親と共に各地を渡り歩きながら大きくなったそうです。小さな頃には一緒に現場で過ごすことも。

小学生時代の有政さんは成績が良く、当時は成績が良い=中学受験をするムードだったこともあり、有政さん自身はあまり乗り気ではなかったそうですが、中高一貫校を受験、見事合格します。

親元を離れ、下宿生活を始めると、そこは高校生の先輩もいる環境。先輩からの誘いは断れない上下関係もあり、遊びに付き合わされることもあったとか。

高校時代はハンドボール部のキャプテンとして全国大会に出場するほどの成績を収めていましたが、一方で学業の成績は今ひとつ。誰もがスポーツ推薦で進学するものと思っていたそうですが、推薦を蹴って自力での受験にトライします。


【有政雄一さんのキャリアバラエティ2/5】

残念ながら初年度は不合格。実家に戻り浪人生活を送ります。○○を学びたい!といった希望を特に持っていませんでしたが、たまたま隣に座った人が教育大を受けることを知り、「教育心理学」への興味が芽生え、教育大学へ進学します。

よく学び、よく働き、よく遊んだ大学時代。勉強そのものへの楽しさもあり、比較的真面目に授業にも出席し、成績優秀で学費も免除されていました。

周りも教員を目指す環境で、有政さんも教育実習に行きましたが、将来にわたってずっと教員を続けていく姿がイメージできなかったこともあり、就職をしよう!と思うに至ります。

就職するにあたって、有政さんが大事にしたことは、コンプレックス克服のためにも人と話す仕事、東京か大阪、そして、ゆくゆくは起業して経営に携わることになるだろうから、経営を学べるような環境に行こう、ということでした。


【有政雄一さんのキャリアバラエティ3/5】

就職活動の方針を決めた有政さん。就職情報誌の中で働く人たちの様子がとても楽しそうな会社を見つけます。経営に近いところで仕事ができるかも?と規模感もちょうどよく、人材サービス会社に入社します。

最初の配属は大阪での営業でした。話すことにコンプレックスがあった有政さんは電話を取ることに恐怖を覚え、アポイントも取れない、受注も取れない、と自信を失う日々を過ごしました。泣き言を言ったこともありましたが、一生懸命、真面目に取り組むこと、そしてこちらから話す、提案するよりもまずクライアントの話に耳を傾け、一緒に課題を探して行こう、と自分の強みを活かした営業ができるようになってからは、営業成績も右肩上がり。表彰されるまでに至りました。

その後、九州に異動。営業から転職相談を受けるカウンセラーの仕事を始めます。



【有原雄一さんのキャリアバラエティ4/5】

その後、会社が合併することになり、有政さんは東京に異動することになります。大阪、九州と成果をあげていた有政さんは意気揚々と東京での仕事を始めます。実績を上げている人の商談に同席し、さまざまな方法論、ノウハウを蓄積していく中で、新人や中途入社のO J Tに携わるようになります。ちょうど会社が急拡大していく頃で、人材の育成は急務。これまで有政さんが培った方法論を伝授していく仕事はやりがいもありましたが、何が正解なのかわからず、成果が数値化できないことへの焦りや不安も生まれていきました。

そんな頃、かつての上司から誘われ、採用代行業務や人事コンサルティングを担う会社に合流することになります。これまで営業やカウンセラーとして仕事をしてきた経験が活かせ、仕事自体も楽しく、成功事例を他社に展開できる仕組み、サービスの構築などやりがいや達成感も感じていました。



【有政雄一さんのキャリアバラエティ5/5】

会社の拡大とともに、会社の方針と有政さんがやりたいことに少しずつ差が出始め、ちょうど40歳を迎える頃でもあり、人生後半戦、何かにチャレンジしてみたい思いが湧いてきました。当時、単身赴任をしていましたが、家族と過ごしたいという思いも強くなり、地元に戻ることに。

ご両親のご実家が農業を営んでいたこともあり、家族と田舎暮らしをする中で農業で何かできないかと考え、農業体験と野菜の宅配事業を提供しようと独立します。農業体験の会員からの「作った野菜で店をやりたい」という声から、イタリアンレストランの経営にも携わりました。

小さな農家が丹精込めて作った野菜の多くは流通にのりません。そんな野菜を集めて販売することはできないかと「まごやさい」の仕組みが生まれます。有政さん曰く「天啓がくだった」瞬間だったと言います。今では多くの飲食店が「まごやさい」の仕組みを活用し、新鮮で美味しい野菜を調理し、お客様に提供しています。

有政さんに、これからやりたいことをお聞きすると、「仕組みはできたし、取り入れたいという人や団体もたくさんいる。モノは集まるけれど、販売先が確保できないケースが多く、なかなか軌道に乗らない。この仕組みを根付かせるためにどうしていくのがいいのか、次の構想を模索しているところなんです」と、悶々としながらも既に「次」を見越していらっしゃいます。きっとこの先も有政さんは、周りの人の声に耳を傾けながら、「こうしたらいいんじゃないか?」を実現していかれることと思います。








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