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キャリアバラエティvol.46中村真紀さんの場合


キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、糸島在住の中村真紀さん。ご自身で興された会社ではコーチングやコンサルティングを行い、糸島の顔の見える本屋さんをはじめ、様々な活動やプロジェクトを手掛けられています。時には社外取締役の顔もお持ちです。ご自身のことを「ポートフォリオワーカー」と称される中村さん。複数の仕事をポートフォリオを組むようにやっていきたいとおっしゃいます。そんな中村さんのこれまでとこれからのことをお聞きしました。



【中村真紀さんのキャリアバラエティ1/5】

東京、荻窪で生まれ育った中村さん。幼なじみの友達たちと、毎日近所を駆け回って遊ぶ楽しい毎日を過ごしていました。近所の人たちとは誰とでも仲良くなり、年上の人たちの話し相手をすることも。

10歳の時に横浜のベッドタウンに引っ越すこととなり、転校生となった中村さん。これまでの荻窪での生活、環境、周りの人との関係性などが一変したこともあってか、なかなか馴染むことができなかったといいます。

地元中学には進まず、受験して中高一貫の女子校へと進学します。中高ではバスケットボール部に所属。6年間の女子校生活は、男女の差を感じることもなく、のびのびと自分らしく楽しく過ごしました。



【中村真紀さんのキャリアバラエティ2/5】

高校卒業後は早稲田大学に進学します。中高と学生生活を楽しんだ中村さんですから、きっと大学生活も楽しく過ごされたのかと思いきや、暗黒時代だったとおっしゃいます。バスケットボールは続けていたそうですが、同級生との価値観の違いを感じながらも無理をして合わせてみたり、かと言って勉強に没頭していたわけでもなく、自分を見失っていた時期だったそうです。

就職活動では、自分が何をしたいのかよくわからない状態で、ジャーナリストになりたいという思いがあり、マスコミを受けるも不合格。信頼する荻窪時代の友人から、受けてみたら?と勧められて総合スーパーを受験し、内定を得ます。

卒業式よりも前の3月半ばに入社した時には、実はあまり前向きではなかったとか。そんな気持ちは入社して早々変わります。

配属先の上司が愛情を持って指導してくれたことで、どんどんと仕事を覚え、周りからも認められるようになり、仕事が楽しい!と思うようになりました。



【中村真紀さんのキャリアバラエティ3/5】

店舗での仕事を1年経験した後、中村さんは新規事業のプロジェクトへと配属されます。様々な分野の専門家が集まる集団で、いわばスタートアップ企業のような組織で事業立ち上げに奔走します。しかし、事業はなかなかうまくいかず撤退。同僚が解雇されたり、事業がなくなる経験をし、どうしたらそうならずに済むのか、こんな悔しく悲しいことは2度としたくない、と思うようになりました。

その後、中村さんは別の部署に異動となります。情報はたくさん入り、様々な提案をするもののなかなか実行されないという状態にフラストレーションを抱えるようになります。このままの状態で仕事をしていても、使いものにならないのではないか?このままのキャリアで良いのか?と考え始め、開校したばかりのビジネススクールに通います。



【中村真紀さんのキャリアバラエティ4/5】

ビジネススクールの仲間とは研究会を立ち上げて、情報交換や学びを続けていました。その頃から転職を考え始め、日本へ進出が決まった世界第2位のスーパーマーケットに面接を受けにいきます。実は中村さん、なんの対策もせずに面接に挑んだのですが、面接官に魅了され、「こういう熱意を持った人たちと働きたい!」と、面接対策を始めたそうです。しばらくすると別部門からお声がかかり、めでたく入社。創業期だったこともあり、とにかく大変なことばかりでしたが、仕事そのものは面白かったとおっしゃいます。

その頃、前職のスーパーに世界第1位のスーパーマーケットが資本参入することとなり、外資系での経験がある中村さんに白羽の矢が立ちます。上司に転職の理由を「ストレッチしたい」と伝えていたこともあって、快く送り出してくれていたからこその復帰でした。

復帰後、アメリカ本社に1年間の研修に行きます。この時の経験が人生を変えたとおっしゃいます。商品のことを学びに行ったつもりだった中村さんでしたが、リーダーシップ開発や1 on 1、人材育成など人・組織の仕組みに惚れ込み、働いている人を幸せにしたいという思いをより一層強く持つようになりました。




【中村真紀さんのキャリアバラエティ5/5】

働く人を幸せにしたい、と日々奔走する中村さんでしたが、2011年の東日本大震災を契機に、自分が何ができるのか、何かできることはないのか?を考えるようになりました。

2015年ごろから陸前高田に出向くようになりました。英語を教えるボランティアとしてのスタートでしたが、陸前高田の風景、人々からもらったものがたくさんあり、恩返しがしたいという思いが大きくなっていきました。陸前高田で過ごす中で、「都会ではなくて地方」「働きかける対象は企業で働いている人だけではない」とご自身の中で大切にしたいことが見えてきたそうです。ご縁があって糸島に何度か足を運ぶうちに、コロナ禍へ。当初は二拠点生活をイメージしていたそうですが、働き方がガラリと変わる中、糸島へに住まいを移し、今はさまざまな仕事や活動をなさっています。

これから先の野望(!)をお聞きしたところ、「具体的にはないかも。ご縁や流れを大事にしていきたい。きっと必要な出会いは起こると思うので、いつでも受け止めて動けるように開いていきたい」と爽やかにお答えくださいました。中村さんのポートフォリオにこれから先どんな仕事や活動が加わっていくのか、とっても楽しみです。

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