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でも、バレー好きなんやろ
私には忘れらなれい父の言葉がある。
大学2年生の5月、大好きだったバレーが大っ嫌いになって、
練習するのも怖くて、考えるだけで涙が出るくらい辞めたいと思っていた。
忘れられないあの日は、チームにとって大事な1・2部入れ替え戦。負ければ2部降格となってしまう負けられない戦いだった。
そんな試合にスタメンで出場させてもらっていた私は、その試合に向けてとにかく必死にもがいてもがいて練習してきたつもりだった。そう、つもりだったのだ。今思うと努力の方向がちょっと違ったのかもしれないし、神様が試練を与えてきたのかもしれない。よく頑張ってたなとは思うから、後者にしておこう。
だが、私はその試合で取り返しのつかないことをやってしまった。
第4セット終盤、3点差くらいで勝っていたと思う。このセットを取れば1部残留確定という時に、足をつってしまい、途中交代となったのだ。そのせいで流れが一転し気づくと逆転されそのまま最終セットも取られ、2部降格が決まった。
何もできず、コートの外でトレーナーにケアをしてもらいながらチームメイトの戦う姿をただただ見ることしかできなかった屈辱は今でも忘れられない。
勝利した相手の喜び叫ぶ声それに反してコート上で呆然と立ち尽くすチームメイト。その後監督やコーチ、OBさんなど応援してくださる方々からの話があったが、ただただ泣くことしかできなかった。なんなら泣くこともできないくらい、どうしたらいいかもわからず真っ暗だった。
あまりハマるものがない私が、小学1年生で初めて以来、今まで何よりも大好きだったバレーを心が拒否していた。当時一人暮らしだった私は、心が潰されそうになり、すぐさま実家に帰った。次に部活が始まるまでのたった二日間、東京からはるばる四国の実家に。
部活の長期オフ以外で実家に帰省したのは、4年間でこの時だけだ。
家族はバレーのことには触れずに、優しく私を迎え入れてくれて、大好きなご飯を作ってくれて、焼肉に連れて行ってくれて、テレビ見て爆笑して。
ただ普段通りの帰省の時間を過ごしていたけど、そんな時間はあっという間にすぎた。
もう東京に戻らなければならない日の朝、出勤前に父は、
でも、バレー好きなんやろ。
と、優しい笑顔でその言葉だけを伝えて仕事に向かった。
父はバレーの指導者をしており、小学生の頃は仕事で疲れた父にバレーを教えてとせがみ、毎日練習に付き合ってもらった。姉と私のバレースタイルが似ているというのはきっと、父の指導のおかげろう。
特に自分からは、私の技術や試合内容に何も言ってこない父だが、私が悩んだ時いつも相談するのは父だった。
そんな誰よりも私のバレー人生を知っている父に言われた一言は、
私の中でとても大きな支えになった。
きっと父の中にもいろんな感情があっただろう。
嫌ならやめてもいいんだよ。
きっとそう言うこともできたはずだ。
でも、誰よりも近くでバレーをする姿を見てきた父だからこそ、
挫折を味わった娘が忘れかけているであろう、バレーが好きだ、という感情を思い出させようとしてくれたのだと思う。
これまでもその気持ちがあったから続けてこれたんじゃないの?
あなたはきっとこれでバレーは嫌いになれないしやめられないよ。
そう言われている気がした私は、再び東京に戻りバレー中心の生活に戻った。もちろんそこからも悔しい思いや大変な思いはたくさんするのだが、それはまたいつか、気が向いた時に振り返ることにする。
大学2年生の人生最大の挫折を味わった自分を今なら、よく頑張っていたよ!と盛大に褒めてあげたい。
あの時、父が自分なりの言葉で私を送り出してくれて、
そして私自身がバレーがやっぱり好きなんだと頑張り続けてくれたおかげで、23歳になった今でも週末にバレーをしています。
めっちゃ辛かったけど、バレーを好きな気持ちを忘れずにいてくれてありがとう。そのおかげで今もバレーが大好きです。
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