2000年代にヒップホップ/R&BのDJを志していた人なら、一度は必ず目にしたであろうブートレグ・レーベル(?)と言えば、KILLAH KUTSでしょう。業界を大いに肥したプロモバブルの裏側では、現物の確保が難しかったレアなタイトルのKILLAH KUTS盤が、非DJを含むライト層の受け皿になっていた部分もあり、同時期にかなり需要を伸ばしたシリーズでもあります。 他に、分かりやすく対抗馬になってたシリーズがあまり無かったし、敢えて言うならLETHAL WEAPONとかTOP
勤務していたレコード屋は、幸いなことに中古の取り扱いもあって。 実は、入社時期に同級生で同じくレコキチだった幼なじみも一緒に誘って、同期でアルバイトで入ったんですけど、自分はブラック・ミュージック担当、彼は何かしらのジャンル特化型の聴き方ではなかったんで、オールジャンルの中古(クラシック以外で、ソウル/ファンク/ジャズ/和モノなど)の担当ってことで。 元々、友達だったんで、中古担当の仕事で当初は作業拠点も違ったんですが、催事準備の時なんかは自分もヘルプで手伝いに行ったり、情報
レコード屋には、学生期間を終えて、アルバイトで入社して。学生時代から入り浸っていたので、当時のスタッフに誘ってもらって、当時は他にやりたいことも無かったから、二つ返事で決めて。 趣味でDJ活動もすでに始めていたこともあって、別にDJで食っていきたいと思ってはいなかったけど、好きなことを仕事にしたくて、最初のうちは本当にレコードを袋に詰めるとか、キャプションを書くことだけ嬉しかったんですよね。 レコ屋の仕事が、意外と地味な件 自分が学生の頃、単なる客の立場だった頃にはあまり意
音楽ライターとしては、レコ屋を退職した後も少し、専門誌を中心にトータルで10年ぐらい活動したんですけど、そっちでももうお声が掛からなくなって7、8年経ちます。 ちょうど、2010年代前後は寄稿してた雑誌が次々と休刊した時期で、「あー、もうこっちも厳しいな」という感覚でしたね。 当時の音楽ライターって(多分いまもですけど)、東京の業界人が殆どなんですよね。 ライナーノーツなんかの、少し大きめの仕事は、ほぼそっちの独占市場で、関西にはほぼ回ってきません。 年功序列と言うか、そも
ご挨拶だけの投稿っていうのもあれなんで、連投。 時系列的に、レコード屋の会社勤めとしては最後の話になっちゃうんですけど、記憶としては一番新しいところから。 私は11年勤めていたレコード屋を退職したのは、2010年になるんでもう10年前なんですけど、その時のレコード屋事情から回想したいと思います。 10年一昔、とはよく言ったもの。すでに記憶が曖昧になってきている部分もあるので、調べながら。 かのCISCO RECORDSが廃業したのが2008年の10月末、DANCE MUSI
レコ屋のバイヤーとして。関西の某レコードショップで高卒から11年間勤務、その間に個人でフリーの音楽ライターとして10年ほど活動(ダブってるけど、完全一致ではない)。その間に色々なことがありましたが、勤めていたレコード屋が今も元気に営業しているがために、廃業したかのCISCOやDMRであればともかく、堂々と裏話をするのも気が引けて、ずっと心の中に留めていたんですけど、自分もアラフォーになり、そろそろ昔の話もしたくなってきたので備忘録的にやってみようかな、と。 それでも、言えるこ