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ネコの哲学、意味から離れて今を生きる

ネコは幸せになるために苦労を重ねるようなことをしないので、ネコは退屈をしません。
一方人間は人生のほとんどを転移行動に費やす自己分裂した生き物です
ネコは生きているという実感のために生きている。
Gigazine 「ネコに学ぶ「自然体で生きる方法」を哲学者が語る」より

‘今に集中‘、’意味を求めず生きる‘は難しい

このことは、近年マインドフルネスなどで、今・ここに集中する、ということに注目されていることと関係している。

私たちは莫大な時間を、あるかもしれない未来や、誰かが絶え間なく提供してくれる情報に使い、今ここに存在している自分に使うことを苦手とする。

私は、この連休の中でも家族と’今’を楽しみながら、明日何しようか、前はこんなことがあった、といった今以外の話ばかりしてしまう。仕事中は、仕事柄この先にどんなことをするべきか、それを考えるために未来予測や過去分析などをしている。

では、今ここだけに集中していればよいかといえば、そんなこともない。今だけを生きていれば、大きな視点では地球環境は持たないし、小さな視点では欲望にまみれてしまうし、明日の飯にさえありつけなくなるのかもしれない。

世の中すべてが競争をやめれば、そんなこともなくなるのであろうが、それはまだ早い。なぜなら発展が必要であると思うからだ。

その上、社会システムを大きく一気に変えることは、コストがかかるし損する人が多いからうまくいかないだろう。

先進国にとってはSDGsが達成される(としている)2030年くらいまでにだんだんと世の中が変化していくのが良いのであろう。途上国は、過去の発展とは違うサステナブルな発展を遂げて、その先には世界がより平和で、格差が減って少しでも安心して過ごせる場所になるとよいと思う。

今を生きるとは?

繰り返すが、今を生きる、意味を求めず生きるのは難しい。
生活には‘意味’があふれている。いろいろなことに理由があるのが良いこととされている。
近代以降、科学・技術の考え方「ああすればこうなる」が世界を発展させてきたからだ。
意味や論理によってより便利に快適にできる一方で、すべてに理由・意味が必要とされる意味原理主義は、とても息苦しい。

「何となく好きだから文章を書く」よりも「世界を変えたいから文章を書く」のほうが崇高とされる。これも、今を生きていないものの一つ。
パーソナライズサービスも意味にあふれている。あなたの体質は○○だから△△を摂取するのが良い。本当に命にかかわることなら気にしたほうが良いとは思うが、流行らないのは「意味」が私たちの生活を犯すことへの反対(は言い過ぎかもで、お金を払っても面倒が増えるだけで大した効果がないから)だと思う。

ただ好きだからやる。小さい頃はできていたそれが難しい。
子供が遊びに熱中している姿を見ると思いだす。夢中で遊び自体に集中すること。
服の汚れも、髪の毛の乱れも、今何時かも、明日につかれ残さないようにといった計算も、関係ない。

この週末は、ただ好きなことを意味を考えずにやってみる。
ぼーっとしたり、好きな本を読んだり。

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