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「自分にはあれがない」疎外感に慣れること、大人になること

娘が、保育園の仲良し友達2人が歩くと光る靴を持っているので、欲しいと言っている。

ほかの人が持っているのに自分が持っていない、昔はよくそれで悩んでいたということを思い出したので、少し考えてみる。

小学生のころの思い出

光る靴、ハイパーヨーヨー、ポケモン、たまごっち、デジモン・・・
小さなころ流行りのものをなかなか買ってもらえなかった。正確に言うと、親に欲しいと伝える勇気がなかった。

流行りものを持っているかどうかが、話の輪に入れてもらったり、放課後に遊ぶために必要な時期があった。流行りものを持っている人、持っていない人で、所属するグループが分かれていた。

流行りものを持っている人たちは、なんだかクラスの中心で、モテて、キラキラしていると思っていた。

流行りについていかない孤独が自分を強くした

振り返ると大したものではないのだが、あの頃は孤独感を感じていた。

あの頃から自分は余りものだという認識があった。中心にいるような人間ではなく、特に注目される要素もない。

でも、半分は、まあいいかと思っていた。
流行のものに対して憧れを抱きながら、自分は流行のものなんか似合わないし、苦しそうな家計に負担をかけるのも悪い。

お願いする勇気がなかったと言えばそうなのだが、孤独を続けていった結果、耐えられるように、疎外感を感じないように、そして孤独を楽しめるようになった。

中学高校になると、もっと他の要素が襲ってくる。
自分には、考える力がない、面白いギャグをいえない、きれいな顔がない、きれいな肌がない、うすい体毛がない・・・・

社会人になると、立派な肩書がない、立派な家がない、お金がない、家庭がない、免疫力がない・・・・

はっきり言って、自分には「ないもの」しかない。メディアから見ると、余りもののようなものだろう。
でも、メディアの視点は自分には関係がないし、自分にはそのほかに面白いものがある。
余りものとして人生を楽しんで、自分と同じ余りものを愛して生きていく。

自分にとって大人とは?

大人になることの大きな要素は、自分と他人の間、感情と理性の間に線を引けるようになること。それによって、いろいろなものを冷静に見ることができるようになること。

流行りにのって、新しいことに挑戦するのはよい。そこに楽しみを見出すチャンスとなる。でも流行りを消費することが目的化すると無駄に終わる。

流行りに乗るのは楽しいが、それにまみれた人生は自分の本性を遠ざけること。

自分の子供はどう考えているかわからないが、相談してみようと思う。


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