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ブルシットジョブの根源は情緒価値への傾倒(事実的な価値への諦め)ではないか

最近、僕の勤める会社で退職の波が来ている。
会社は円満退社だと言っているが、やめる会社に対してわざわざ本音をぶつけてあげるような人はいないだろう。

自分を含め、会社を辞めようという人間は多数いるようだ。
その背景にあるのは、この仕事ってなくてもいいのではないか、ないほうが社会によいのではないか、ということだ。
ここ2年でよく聞くようになった、ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)にあたるのだろう。

ブルシットジョブという言葉を多く見聞きするようになったのはなぜか?

それは、それらの集団からまっとうな価値が生まれていないから、生もうともしていないからだと思う。

まっとうな価値とは、社会が進歩・成熟する価値だ。
技術革新で世の中が良くなるというぼんやりとしたイメージを持ち続け、調子のよい経営・技術戦略をつくり、真実を見ない。
ここ10年くらいの技術的な進歩で、世の中は少しでも良くなったか?

そんな戦略を中長期的な夢や希望として掲げながら、実際には、なんら既存商品と変わらないものを、精一杯の力とお金と資源を使って違うように見せている。

サステナビリティは、売れ筋キーワードであり倫理的規範となっていない。
事実面では何ら変わらない競合商品を棚から降ろし、自社の売り上げをあげるための、都合のいいキーワードだ。

情緒的な価値・コトを売るということばが、流行ってかなりの時間がたつ。
僕は、それらの情緒的価値はまやかしであり、ブルシットジョブの根源であると考える。

従業員からすると、社会に一切の価値を生み出すことなく、世の中をだましている気分になる。

社会を良くすることによってお金が巡る方法はないだろうか。

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