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【ライブレポ】はじまりに形はないもの 群青の世界 現体制ラストライブ

一粒の砂のようなきっかけを掴んで全国ネットにまで知名度を上げていくグループに対し、地道に長らく頑張ってきたけれどももはやここまでだと白旗を上げざるを得なくなってしまったグループは数え切れないほど存在します。
解散、無期限の活動休止、現体制終了...
2023年の下半期にかけ、界隈でも名のあるグループが、様々な形で活動に区切りをつけることを発表しました。
数ある中の一つとして、群青の世界というグループのことを書き残したいと思います。

群青の世界が全員卒業による現体制終了を宣言したのは11月9日。
走り出していた東名阪?ツアー「Find the Blue」のファイナル・12月23日の横浜新都市ホールでの公演をもって活動のピリオドを打つと発表しました。
12月23日はくしくも群青の世界が2018年にステージデビューした日付と同日。
3年もてば御の字と言われることもあるライブアイドル界において、5年間走り続けたのは十分すぎる年数といえます。
そんな記念すべき5周年の終わりであり、6年目の始まりともなる12月23日に、群青の世界は一旦の幕を閉じるという選択を取ったわけです。
解散などではなく現体制終了という言葉の中には、今後しばらくしてメンバーを変えて再始動する可能性ももしかしたら込められているのかもしれませんが、現メンバー全員卒業かつ全員事務所退所という事実に加え、メンバーの入れ替えが極めてすくなく、一年ほどのブランクをあけて帰ってきた横田ふみかさんを含めて卒業時の3/5人がオリジナルメンバーという”長期雇用”という歴史もあり、おそらくその線はかなり薄いと言えそうです。

そうでなくとも、ある時突然、縁もゆかりもない全く新しいメンバーで楽曲はそのままに第二章をスタートする、と言われても「そうじゃないんだよな」と思ってしまう(自分だけかもしれませんが)ファン心理もあり、このまま実質上の解散と受け止めてこの先は音源や映像のみで幻影を追いかける、というのが一番幸せな道かもしれません。

未来シルエットやアンノウンプラネットなど何曲かのインストをミックスした登場SEは、いつもとは違う周年用の特別バージョンでした。
横長のフロアにはその黒さをもって存在感を誇示するスピーカーがいくつか並び、ステージ背面には櫛形に切れ目の入った黒色の幕が、その隙間から岩肌のような陰影のついたクリーム色の壁を覗かせていました。
定刻。
ここ最近全くアイドル現場からご無沙汰になり、青セカじたい8月のTIF以来でした。
大きく息を吸い込むと、久しぶりのフロアの匂いに加えて青セカを見てきた光景が頭を次々にかすめました。

まずよぎったのはこのグループは何かが違うと確信した、2年前の3周年ライブのこと。
同じSEから始まり、衣装替えもないのに次々と場面が転換していった、映画を観ているような感覚は、なかなか他では味わえないものでした。
あのときに感じた、抑えられない身体の震え。
青セカのライブに行ってまだ日も浅かったのでクラップのタイミングや振りコピなんて頭に入っていませんでしたし、果たして自分がその中でどのように乗っていたのかなんて忘れてしまいましたが、叩きつけられたような衝撃は今でも覚えています。
思えば恵比寿ガーデンホールのステージ背景も、この日とどこか似ていました。
そして、一曲目のこの曲も、です。

「アンノウンプラネット」。
当時を知る一宮ゆいさんが語りだしました。
「5年前、この曲から私達は始まりました」
2018年12月23日、渋谷WWWXで胎動した未知の惑星は、どこに進むとも、ましてやどんな輪郭を形づくるともわからない小さな星だったはずです。
宇宙の広大さに飲まれてとうにチリとなっていたっておかしくはなかった。
旅の過程でどこかに飲み込まれていたなら、自分もめぐりあえないままだったでしょう。

TIFのメインステージ争奪戦にはじまり対バンやフェス、あるいはワンマンでの大きなステージや集まる人の多さ、主現場としているわけではない人からも聞こえてくる「青セカは曲とパフォーマンスがよくて...」という声などを思い返すと、何も持たない不安定なところからライブアイドルシーンで一定の地位を得るところまで上り詰めた青セカの実績には感銘を受けます。

それだけに、まだまだ行けるだろうという思いもあったであろうメンバーの複雑な心境も想像してしまいます。
「いろいろ見えてきた3年目、今年こそはの4年目...」最後のスピーチで村崎ゆうなさんはたしかこう言っていました。
考えうる手は全部打った。それでも...と行き詰まった末のこの決断だったとはどうしても思えません。
むしろ、新体制になってまだまだここから、と意気込んだところに突然布を被せられたような響きを感じました。
実力や楽曲は内外にも知れ渡っていますし、メンバーが変わらないことによる安定感や環境の良さはピカイチだろうなと、アイドルとしては異例な出戻りをした横田さんを見ていても想像できました。
異例と見られながらも2度目のアイドルに他ではなく群青の世界を選んだのは、いつ終わるともわからないアイドル人生をここで終えようという決意ともとれます。
工藤さんや一宮さんは、2022年の定期ライブのインタビューで、「群青の世界を卒業するつもりはない」と答えていました。
インタビューはその時の心境であり、そこから一年以上も経てば考え方が変化していくことだってあるかもしれませんが、少なくともこの時点においては群青の世界を終わらせるというビジョンはどこにもなかったはずです。
そうした前知識をもとに見ていると、どうしてもこう思ってしまうのです。
表立っては見えない様々な事情はあったにせよ、志半ばで道が閉ざされてしまったのだろうと。

だからこそ、惜しさを飲み込みながらライブを見ることになるのかなと思っていたのですが、始まってしまえば全くの見当違いでした。
自分が悪い方に考えすぎてしまったのだと思わせられるほど、メンバーの表情は明るさに満ちていました。
グループの現体制終了がすぐそこに迫ってきているなんて嘘のようです。
来年以降も、もしかすることがあるのかもしれない。
確定した未来が覆るなんていうありえないことを夢想してしまうくらい、楽しさで溢れていました。
もう二度とライブでは聞けないであろう一曲一曲を取りこぼさないように噛み締めておこうとはじめは思っていましたが、肩に力を入れて拳を開かずじっと見つめるよりも、今この時を楽しんでおかないと損だという気分のほうが勝ってきました。
その気分は浮遊感にも似ていて、メンバーにそのテンションまで引き上げられました。
久しぶりだったので当時はちょっとした疑問くらいの感覚でしたが、思えば群青の世界はライブアイドルによくありがちな「どういうわけかとにかく楽しい」という瞬間よりも、物語に知らず知らずのうちに引きずり込まれるようなどちらかというとシリアスな感情に陥ることが多い気がしていて、それこそが他では替えが効かない理由だと思っていました。
SNSを開けば一定のアルゴリズムに沿って自分が好きそうな未知のグループが頻繁に現れ、対バンやフェスに行けば似たような、それでいてボタンのかける場所次第でどこにハマっていてもおかしくなかったと思わせられるグループをいくつも見かけます。
その浮動の中にあっても変わらず好きだっただろうなと確信していたグループが群青の世界でした。
その根拠はシリアスさにあったわけで、それとは正反対のお祭りのようなライブが眼の前で展開されていることには嬉しさと少しばかりの戸惑いもありました。
だからふわふわしていたような感覚だったのかなと、数日たった今にしてみれば思います。

お立ち台に立った一宮ゆいさんは、ファンを従えているかのように堂々とした態度でフロアを見下ろしています。
いっぱいの笑顔を見るとピンポイントで刺されたような感覚になり、おそらくこれが村崎さんの言うところの「アイドル力」なのでしょう。
「カルミア」など、新体制になってから入れたのか新たなアオリを入れ、それに反響するようにフロアが答える曲がいくつかあり、自分が知っている頃とはフロアの質までもすっかり変わったことを思い知らされました。
横田ふみかさんの息が多めの甘えるような声や、一宮さんとはまた違った種類の屈託のない笑顔はその場を溶かしていきます。
工藤みかさんの、大黒柱たる歌声には変わらぬ安心感があります。
歌が飛び抜けているアイドルは何人か見てきましたが、その日のPAに関わらず発される歌声がフロアをスーッと滑っていく推進力みたいなものがありました。
工藤さんもその歌声の持ち主です。

解散の口惜しさを吹き飛ばすような明るさは、メンバーが突如ステージを降りてファンに近づいたメドレーコーナーでも印象的に現れていました。
「シンデレラエモーション」のワンシーンでは、すぐ近くまで来た村崎さんと町田さんがじゃれているのが見えました。
歌うべきパートで誰かが歌わず、伴奏だけが流れて笑い声が起こるなんていう場面もありました。
話題を呼ぶためだけのハプニングを嫌い、MCの内容までアドリブ無しでしっかり決め、できるだけ完璧主義的にライブを行ってきたこれまでのスタイルからすると、フロアに降りてきたメドレーコーナーはくだけすぎていると言っていいほど自由な時間でした。
撮影可能であったものの、どれも手ブレが酷く、フォルダに残った写真はもはや誰の何を撮ったものかもよくわかりません。
そのこと自体が、自分の心の浮つきを現しているかのようでした。

長く続いたメドレーコーナーは、ゼロ距離でのフロアとのふれあいもありつつ、再びステージに戻ればいかにもパフォーマンスのために爪を研ぎ続けた青セカらしい、こだわり抜いた構成でした。
メドレーといっても頭の1サビと終わりのラスサビ~アウトロを繋げただけの安直なものではなく、曲のラスト1分間から急に始まったり、サビのほとんど一箇所のみだったりと、バラエティに富んでいました。
編集された一曲あたりの長さも曲ごとに違うので、久々に迎える曲を聴きながら、果たしてこれはどこでどんな切り方をされるのだろうと頭の隅で予想し、途絶えてはまた進み出す流れに乗る刺激がありました。

長くて1年ぶりの曲を思い出しつつ振りコピをしていると、群青の世界のダンスには真似のしづらい微妙な振り付けが細かくちりばめられていることに改めて気づきます。
歌詞に描かれている心の機微は、言葉よりも更に難しいであろう動きや表情によって忠実に再現されている。
それができるのが、青セカというグループです。
ステージに対してたすき掛けのようになったフォーメーションから腕を上げるところは、一人で完成するものでは決してなく、やはり5人くらいが完全にシンクロしているからこそ美しく絵になります。
5人が風に吹かれたようにふわっと手首を動かすだけで、舞台は転換します。
露骨過ぎない程度に雰囲気を一変させてしまえるところも、群青の世界の強みにほかなりません。

中盤以降から、バンドサウンドの中低音が身体を揺らし始め、何度も体感してきた群青の世界特有の落ち着きを取り戻し始めました。
さきほど、動きをもって感情を表現しきってしまえるのが強みだと書きましたが、その領域を行き切った群青の世界は次に、ほとんど一切動かずに同じことをやってのけようとしました。
その挑戦的な曲がメドレー終わりに披露された「ノエルに君は」。
横並びのフォーメーションを節ごとに少し移動するだけで、ほとんど動かずに歌と表情のみでこちらを前傾姿勢にさせようという、ある意味挑戦的な曲だと思います。
初披露は昨2022年の12月、4周年を兼ねたツアーファイナルでした。
あの時からみても、動いていない群青の世界への違和感はなく、自然と身体に力を入れながら悲恋の冬曲を聴き入っている自分がいました。

そして真骨頂が「春夏秋冬」。
とりたててテンションが上がっていくわけでもないこのような曲は、その世界に入り込みすぎてしまうとあまりに重苦しくなってしまうところもあると思うのですが、群青の世界らしいさっぱりした感覚が失われることなく、もちろん切迫した感じも残しているというバランスの良さが圧倒的でした。
音源を聴いていると気づくのが、この曲かなり一人のソロの時間が長めです。
1番はサビのほとんどを工藤さん、2番に至ってはBメロからサビのほとんど最後まで町田さんの歌割りになっています。
こんな極端になったのは、歌に強みのある町田さんが入って工藤さんにたよらない歌割りができるようになったことも理由としてあるのでしょうし、さらには「ノエル」しかりより歌に重心を置き始めた証左でもあるのかなと考えています。
まだまだ上手くなれることの意思表示であり、どうみても、そこから半年程度で終わってしまう未来が待っていたとは思えません。
まだまだ伸びていくビジョンしか、現体制が始動したてのこの頃にはなかったのでしょう。
このあたりから、メンバーの歌い方が溜めをつくるような、ややテンポを落としたものに変わっていきました。
終盤に来ても腕で顔を覆っている村崎さん以外は現体制終了の悲愴を感じさせない様子でしたが、顔には出さないまでも別れを惜しみ先延ばしにしたくなるような感情は少しずつ漏れ出ているように見えました。

町田さんの歌声がより強く響いてきたのは「ハイライト・トワイライト」。
コールの声も一層大きくなり、フロアとステージの会話が明確にわかりました。
その中で聴こえてきたのが、町田さんの吐き捨てるような押す声。
ナチュラルに高めをなぞっていたから10数曲からガラリと変わっていました。
それがまた、青セカらしく常に問いかけ続ける「ハイライト・トワイライト」の曲調に、さらには押し寄せてくるコールと見事に合っていました。
2023年5月に横田さんとともに群青の世界に加入した町田さん。
現体制では自分のみ青セカでの活動年数が大幅に短く(同時に横田さんが復帰したのも大きかったと思います)、自らの異物感やプレッシャーを感じながらも無理した結果体調を崩してしまい、夏頃療養した期間がありました。
それまでできていたことが何もできなくなり、挙げ句「生きている価値などない」とまで自分を追い詰めてしまったようです。
最後のスピーチでその心情が明かされたとき、スケールは違えど似たような結論を抱いていたこともあった今年の自分は、聞きながら身につまされるところがありました。

どの曲か忘れましたが、最終盤に差し掛かったところで工藤さんが音源にないハモリを入れているのに気づきました。
ロングトーンもギリギリまで伸ばしています。
「歌を通して思いは伝えてきたつもり」という工藤さん、最後は理想とする形で歌い納めることができたのでしょうか。
「僕等のスーパーノヴァ」で終わったライブは2時間半弱。
ダブルアンコールがなかったことなどから終わりにしてはややあっさりしてたという感想も見かけましたが、ある意味スマートでい続けた群青の世界らしいなとも思います。

大きな後ろ盾もない中、5年も走り続けたのは素晴らしいと思うよりほかはないのですが、こんなに素晴らしいグループがこのままひっそり幕を閉じてしまって果たしてよかったのか。
今更ながらそう考えます。
アイドルは夢を売る仕事だと、自分は思っています。
それは疑似恋愛というクラシカルな側面もありますが、それ以上に「裏側を見せない」「ライフサイクルの短い消費に飛びつかない」点において、他の商業コンテンツとは一線を画していると思うのです。
SNSでどこかのグループのプロデューサーや、ともすれば演者が苦労話やステージでは出さない裏話や顔を平気でさらす機会はここ数年の体感でかなり増えました。
アイドルとはいってもビジネスの一形態。
集客をしてお金を稼ぐのが最優先であり、見える形でよりビジネスライクに仕掛けていかないといけないという論理があるのでしょう。
食いついてもらうための手段はいくつも考え抜かれました。
最近ではその結論は固まりつつあるようです。
例えば、バズを狙った短い時間の動画やより過激な発言、きわどい露出やご法度とされてきた恋愛の話など。
事実、そこで耳目を集めたグループや個人がもてはやされて結果を出し、地下から脱している傾向も感じるので、正解といえば正解なのかもしれません。
すっかりインスタント化している世の中の流れに沿っているといえばそれまでなのですが、結果アイドルの位置や距離感が揺らいでしまっている気がしていて、自分はその潮流にどうしても馴染めません。
自分の考えだけを一方的に述べていいのであれば、アイドルは夢を売るもの。
当たったとしてもすぐに消費されてしまうバズりや一過性の話題になることに、果たして夢はあるのでしょうか。
インフルエンサーやちょっと影響力のある素人と今のアイドルとの境界線はどこにあるのでしょうか。
みんなが良いという理由だけで飛びついているコンテンツは、それが流行の根幹だとはいえ資本主義と弱肉強食が究極にまで先鋭化されてしまった今の時代は、職業アイドルの定義が危うくなっていると感じます。
考え方がアップデートされていない自覚はありつつも、倍速やショート動画ではわからないような細部にまで趣向を凝らして曲を積み上げ、ライブを完成させる真っ当なアイドルがきちんと評価されていない現状。
自分はそこにどうしても不満がありました。

その中で群青の世界は、ある意味では新時代の異端でした。
もちろんなにかの”きっかけ”を渇望はしつつも、短絡的な成果とか目を引くような話題性からは距離をおいているように見えたのです。
メンバーも過激な発言からは無縁で(SNSを触りすぎないように制限しているような気もしました)、スタッフの方がグループの売り方を大っぴらに喧伝することもありませんでした。
いいものを作ったら自然と評価されて人も増えるだろう。
(おそらく)そう信じて実直にパフォーマンスと曲の質だけを伸ばし、実際年々ステージの規模を大きくしていきました。
つまるところ群青の世界は、推していて安心感がありました。
結局のところ決めてはライブではありますが、この安心感の効果は絶大です。
もっとも、刺激を求める今の世の中で話題をさらうには薄味かもしれません。
現体制の幕をおろした理由の一つには「運営とメンバーで決めた目標には到達できなかったと判断」したからだ、とありました。
群青の世界のライブのクオリティや曲の良さは、ファンでなくとも知るところです。
でもそこから突き抜けることがどうしてもできなかった。
一過性のものだとわかっていながらも、もっと流行にぶつかっていくような過激さがあれば思うような目標に到達できていたのかもしれません。
ファンの中にはもしかしたら、もっと売れるためのわかりやすいプロモーション上のパフォーマンスを打ってほしいともどかしく感じていた方もいたかもしれません。
それでも自分は、高貴な矜持とともに理想的なアイドルでい続けてくれた群青の世界というグループに最大限の拍手を送りたいです。
青セカが終わってしまったらもうアイドルはいいかな...
そう思ってしまうくらい、最高のグループでした。


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