JUDY AND MARY「クラシック」

今まで気にも留めていなかった曲を、ふとしたことをきっかけに好きになることがある。それまでも目にし、耳に入れていたはずなのにある時から急に違って聴こえる。価値観なんてそう変わるはずもないのに不思議なものである。僕にとって、その象徴が「クラシック」だった。

以前に書いたゴダイゴ「ガンダーラ」が僕の中での名曲第一位だとしたら、「クラシック」は二番目にランクインする。勝手なランキングだが。

もともと、ジュディマリの曲は「そばかす」「OverDrive」しか知らなかった。物心ついた時にはジュディマリは解散していたし、この2曲は有名どころであったから知識としてはこんなものだと思う。この有名度2トップの曲がなんとなく好きだったので、iPodにでも入れて聴けたら、とある時ベストアルバム「FRESH」をレンタルした。好きな曲を聴きたいがために入門編としてベストアルバムを借りる。よくある流れである。
「Blue tears良いな」とか「くじら12号もどこかで聴いたことあったな」などと思うことはあったのだが、あくまで上の二曲がメインだったため、収録されていた他の曲はさほど印象に残らなかった。クラシックに至っては聴いたことすら覚えていない。正直、何も印象に残っていなかった。

それから少し経ち、爆笑問題のラジオ番組「爆笑問題の日曜サンデー」で音楽ランキングベスト50、といった回があった。爆笑問題の二人がそれぞれ50曲を持ち寄ってそれぞれのランキングをつける、特別企画である。ビリージョエル、サザン、佐野元春や80年代アイドルといった多様な音楽に造詣が深い田中さんと太田さんからは、幅広い曲が選ばれていた。その中で、太田さんがランクインさせた曲の中に、ジュディマリの「ドキドキ」があった。これはFRESH収録の曲である。

人のおすすめする曲を聴くのは面白い。その人となりも少しばかり分かったような気がするし、これまでなら絶対に巡り合わなかったような曲を知るきっかけになる。

太田さんフリークの僕は、太田さんがおすすめするとなるとまた違って聴こえるんじゃないかと半分信者的な気持ちで、久しぶりにFRESHを通しで聴くことにし、それもドキドキを注意深く聴いてみたのだった。
確かに、改めて聴くと「ドキドキ」も良い曲であった。けれども、それ以上に、予想外にも引っかかった曲があった。それが「クラシック」だった。一回気になってしまうともう無視はできない。好きになると早いもので、ipodでの「クラシック」の再生回数も、「そばかす」などのそれをすぐに抜いたと思う。FRESHは、クラシックを聴くためだけに選択するようになっていった。

それにしても、これまで何回か聴いていたはずなのになぜ急に気になったのだろう。誰かのおすすめということではもうない。太田さんはあくまで「ドキドキ」を推していただけである。かといってその前後で曲にまつわる何か(クラシックの歌詞がぴたりと当てはまるような失恋をしたとかだろうか?)があったわけでもない。そもそも、歌詞を自分の心境に当てはめて想像力を働かせられるなら、それはもう曲を十分に聴きこんで好きになっている証拠だといえるだろう。

おすすめされ、注意深く聴いたから、偶然心の閾値が下がってヒットしたのか。いやいや、その後何度聴いても価値は増すばかりの曲であり、何もインパクト先行でもない。そもそも、インパクトの強さを感じるのならアルバムを初めて聴いた時点で何かしらの印象はあるはずだろう。

太田さんのランキングを聞き、久しぶりに聴いてみたアルバムでまさかの出会い。これまで聴いてきた曲の中でも、最初は良いなと思っていた曲が何度も聞くうちに関心が薄れていく、とか「好き」のグラフが変動する経験はあった。けれども「無関心」から「好き」に大きく振れることはあまりない。書きながら振り返ってみても、クラシックを好きになったきっかけは奇妙である。

曲自体の感想は、「ここがいい」「あれがいい」とか言い出すとおさまらないので、ここでは一つだけ。

ラスサビのこの歌詞部分である。

愛しい人 震える想いは 今も 生きてるわ 

個人的には、歌い始め、「愛しい人」の入りの音が最後だけ下がり調子になるところが好きだ。音にすると、始まりの音が「レ」に対してラスサビだけ「ラ」になっているのだろうか。耳が合っていればおそらく3音下がる。YUKIの歌声から出る伸びやかな高音も魅力のだが、ささやきかけるような声もいい。このラスサビでは、歌詞の歌い出しが低音側にシフトすることで、そのような歌声が際立つ。流れる旋律がクッションとなって身を任せられそうに感じる。心地がいい。

もしかしたら、FRESH初聴きの段階でクラシックの印象がないのは、メロディがあまりに心地いいゆえに、曲を曲として感じずに自然に音が耳を伝っていったからなのかもしれない。ラジオを通じて意識してはじめて、存在に「気づいた」のかもしれない。これはこじつけに近い考察ですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?