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赤ン目ェ

「隠居ォ、居るゥ?」

「なんだい、朝っぱらから間の抜けた挨拶しやがって。もっと口の利きようてものが――おい、どうしたんだいその目は。真っ赤じゃないか」

「眠れねえんですよ。ここンとこしばらく」

「お前みたいに呑気な奴でも、眠れないなんてことがあるのかね」

「わざわざ訪ねて来た客にそんな言い方があるかい。もっと口の利きようてものが――」

「いいから座んな。そんな赤い目でギロギロ睨まれたら気味が悪くっていけない。それでどうした。あたしに眠れる方法でも聞きに来たのかい」

「医者でもねえのに大きく出たね。そう云うからには、なんかいい方法でもあるんですかい」

「まあ、寝る前の茶は控えるとか、湯に入って身体を温めるとかな」

「へっ、眠れなくなるような良い茶なんぞ飲んでやしませんや――ここン家でも出さねえし」

「ご挨拶だね。それじゃまあ、あるとも思えないけど、なんぞ眠れなくなるような悩みでもあるのかい」

「さあ、それだ。ガキの頃、夜寝る時にお袋が布団の中で昔話なんぞしてくれましょう」

「まあまあ、そういうこともあっただろうな」

「でね、ゆンべも眠れねえから、そうだ、こんな時はお袋がしてくれた話でも思い出して、そうすりゃ眠れるんじゃねえかと――」

「いい歳をして、またずいぶんと可愛らしいことをしたね」

「おおよ。あっしは可愛らしいんでィ」

「余所行って云うんじゃないよ、棒で突っつかれるから」

「そいで、なんの話があったっけと考えて、思い出したのが猿と蟹の揉めるやつ」

「ああ、猿蟹合戦かい」

「それそれ。ところがだ、始まってすぐ、あっしはハテナと思ったね」

「なにがだい」

「あっしは根が利口だからね。今まで誰も気がつかなかった事に、ハッと気づいて飛び起きた」

「猿蟹合戦に飛び起きるようなことがあったかね」

「素人はそこに気がつかねえ」

「いいから先に行きな」

「ありゃあ猿と蟹が歩ってて、柿の種と握り飯を拾いまさぁね。まあ、柿の種なんぞどこに落っこッてたって不思議はねえけど、握り飯なんぞそうそう落ちてるもんじゃねえでしょ。握り飯の木が生えてるわけじゃなし」

「まあまあ、そうだな」

「で、利口なあっしは考えたね。この握り飯、いったい誰が落としたもんだろうかと」

「うんうん、それで――」

「考えてるうちに夜が明けた」

「馬鹿だね、お前は。そんなこと気にしてたら昔話なんぞ出来ゃしないだろ」

「そんでまあ、隠居なら知ってるんじゃねえかと。だいたい同じくらいに生きてたんでしょ」

「なにが」

「だから、猿蟹合戦やら桃太郎てのは隠居の若ェ頃にあったことでしょ」

「目からウロコが落ちるような馬鹿だね。お前の馬鹿は人の意表をつくよ。だったらなにかい、誰がその握り飯を落としたかを教えてやれば、お前は帰ってくれるのかい」

「来たそばから帰すことばっかり考えてやがる。もっともてなせ」

「もてなすより持て余す客だよ、お前は。あのな、握り飯を落としたとなれば、昔話ではあの爺さんと決まっているんだ。蟹が拾ったのもきっとそうだな」

「誰です、その爺って」

「おむすびころりんの爺さんだよ」

「ああ、居た、居た。なるほど、あの野郎がまた落っことしたのか。しようがねえね、あの爺は。今度から握り飯じゃなく、幕の内かなんかにすりゃあ――」

「さあさあ、これでもう悩むことはないだろ。さっさと帰って寝な」

「さすがに隠居は物知りだ。あっしは常々、隠居とはゆっくり腰を据えて、この世の成り立ちとか人間の善悪について語り明かしてェと――」

「いいから帰んなッ」


「隠居ォ、居るゥ」

「うるさいね、お前は、さっき帰ったばかりだってえのに……なんだ、今度は」

「やっぱり眠れねえ……」

「まだ云ってるのか。今度はどんな下らないこと考えた」

「そうじゃねえんで……大体、握り飯のことを考える前から、あっしは眠れなかった」

「そもそもの原因はなんなんだ。眠れなくなった理由は」

「さあて、そいつがどうも……」

「なんかあるだろう。心配事があるとか、気が高ぶることとか」

「まぁ、ひとッつだけ、思い当たることがねえこともねえンですけど……」

「あるんじゃないか。そいつを早く云いな」

「最後に寝た時ですから三、四日前ですかね、変な夢ェ見まして――死んだ親父とお袋が出てきてね、あっしのことを情けねえ、情けねえって云うんですよ。ブラブラしてえてロクに仕事もせず、嫁の来手もないから子孫も増やせやしない。こんな伜を産んじまったお陰で、こっちの世界に来てからは居並ぶ御先祖様に対して肩身が狭くってしようがねえてなことをね。ですから云ってやったんですよ、オウオウオウ、勝手なこと抜かすなィ。オレを誰だと思ってやンだ、おめえらの伜だぞ。トンビがトンビを産んだんだ、なんの不思議があるもンかい。高望みするんじゃねえや、ベラボウめェ――って」

「情けない啖呵だな」

「そしたらね、髭ェ生やして鎧着た、昔の侍みたいのが出て来ましてね、わしらが子孫も落ちぶれたものよ。斯くなる上はわしがひとつ、先祖を代表してお前に意見してやろうって――ンなこと云われたってねえ、会ったこともねえ野郎にああだこうだと文句なんぞつけられる筋合いはねえですから、知ったこっちゃねえやい、オレァ手前の好きにやるんだって怒鳴りつけてやって、赤ン目ェー」

「御先祖様になんてえことを――」

「そしたら野郎、目ェむいて怒りやがって、お前みたいな不孝者の面はもう見たくない、二度と来るなァって……そこで目が覚めた」

「なるほどな、寝ている間はあの世との境が曖昧になるというが、そこで二度と来るなと云われては――眠れないか」

「どうしましょう」

「どうしましょうたって……どうしようもないだろ。もう来るなと云われたんだ」

「来るなったって、別にあっしはあんな野郎に会いたくって寝るわけじゃねえんですよ」

「けれどお前、寝ようったって寝られないんだから……ああ、そうだ。お前、酒はどうだい」

「ああ、だめだめ。酒はあっしはからきしで。もうね、お猪口にこンくらいで、真っ赤ンなってすぐ寝ちまう」

「だったら飲みやいいだろう、世話の焼ける――おい、ばあさん、そこに晩酌に取っといた酒があるだろう。それをちょっと……ああ、少しでいい、少しで――盃の底ォ湿らすくらい――さあ、さっさと飲みな」

「そいじゃ、先に布団を敷いてもらって――」

「贅沢云うんじゃないよ。くいっとやって――ほお、えらいもんだね、もう顔の色がぽーっとしてきて……目がまた、一段と赤くなったね。どうだい、少しはトロッとしてきたかい」

「それがどうも……隠居ンとこの酒は水っぽくって――」

「飲めもしないで生意気な口を叩くな。だったらもう一杯やってみな」

「肴もねえのに」

「肴がいるような量じゃないだろう、これっぱかりの酒」

「酒飲みはそう云うけどこっちは下戸だ。なんかこう、ちょいと摘めるもんがねえと喉を通っていかねえもんで……さっき、ばあさんが隠したアレ――なんかあっしに見られちゃまずいもんでも」

「お前はまた、つまらないとこに目端が利くな……いい、いい、野郎に喰わしてやんな。隠したなんぞと云われちゃしようがない――ほら、喰え」

「へえ……なんです」

「なんですじゃないだろ。あたしの晩酌のお楽しみだ」

「皿を舐めるのが」

「誰が皿なんぞ舐める。この皿に乗ってる刺し身だよ」

「刺し身って……ああ、話には聞いたことがありますよ。フグってのは薄ゥく切って皿に並べて、下の模様が透けて見えるてえが……こりゃまた馬鹿に薄いね。カンナで削って小槌で伸して――」

「おい、しっかりしなよ。これのどこがフグだい。まぐろの刺し身だよ」

「まぐろォ? どこに」

「どこって、皿に乗ってるだろ」

「……いやぁ」

「お前、本当に見えないのかい。皿はわかるんだな。それじゃあ……お前、あの棚の上に飾ってる赤べこな、あれはわかるかい」

「赤べこ? あの年中ヘこへこしてるやつ?」

「そうそう、棚の上に乗ってるだろ」

「……いやぁ」

「じゃ、じゃあお前、庭を見てごらん、庭を」

「庭ッてほどご大層なもンじゃねえやな。枯れ木が植わってるだけで……」

「枯れ木なものかい。今を盛りの紅葉が真っ赤に燃えているようじゃないか。あれが見えないってことは……お前はどうやら、赤いものが見えなくなっちまったようだな」

「赤いものが見えねえ……どうして?」

「どうしてって――まあ、あれだな……つまりその……お前の目が赤くなりすぎたからだな」

「へえ、目が赤くなるとそうなりますか」

「普通はならない。ならないんだが――お前はなった」

「なんで?」

「お前ね、タダだと思ってそうなんでもかんでも次から次へと聞くんじゃないよ。こっちだって……ああ、そうそう、お前、御先祖様に赤ン目ェなんぞしただろう。あれがいけない。罰があたったんだな。それが為にお前の目が赤目となり、ひいては赤い物が見えなくなったと――どうだ」

「なるほどねえ、目が赤くなったから赤いものが見えなくなったと……云われてみりゃあ理屈にあってまさぁね」

「そ、そうかい」

「だってほら、夜ンなるとなんにも見えなくなるってのは、あっしらの目ン玉が黒いからなんでしょ」

「え?」

「だから、真っ暗ンなると見えなくなるってえのはつまり、あっしらの目ン玉が黒いから、黒いものが見えなくなるってことですよね」

「おまえは凄いとこに気がつくね。天地がひっくり返るようだよ。お前の馬鹿は立ってられない……いいかい、余所いって云う前に教えといてやるが、海の向こうにはメリケンやエゲレスってえ青い目の国もあって、そこでも夜は――」

「それぐれぇあっしだって知ってまさあ。ケダモノの肉を食うッて野蛮な連中でしょ。あ、そうか、あいつらサンマやイワシみてぇな青魚が見えねえから、そいで仕方なく肉を――」

「くだらないことばかり云ってないで、もっと他に考えることがあるだろう」

「どんな?」

「どんなって……どうしたらこの赤目が治るのか、とか……」

「へえ、どうやったら治るんで」

「そりゃお前、ぐっすり眠って目の疲れをとって――」

「ところがあっしは眠れねえと来た。さあ、どうする」

「お前、面白がってやしないかい。とにかくだな、赤目を治すには寝なくちゃいけない。寝なくちゃいけないんだが眠れない。眠れないのをどうするかってえと……お前、墓はどこにある」

「オウオウ、人を勝手に殺すない。あっしはまだ生きてンだ」

「お前の墓じゃあない、お前の御先祖の墓だ」

「それだったら確か、溜池のほうに転がってたんじゃ……」

「転がしといちゃいけない。いいかい、お前はそこへ行ってな、御先祖様に無礼を詫びるんだ。赤ン目ェなぞして申し訳ありませんでしたとな。これからは月ごとに御供物を持って参じます。なにとぞ御勘弁のほどをって――」

「誰が云うの? あっしが? ――やだい」

「やだいッたって、御先祖様に詫びが適わなければ、いつまで経ったって眠れないし、赤目も治らないんだよ。悪いことは云わないから早く行っといで」


「あーあ、つまらねえことンなったな。詫びを入れろだ、供え物もってけだのと……あんな野郎に頭ァ下げる気なんぞこれっぽっちも――うわっとぉ、なんか踏んだぞ、おい。柔らけえもんだね……ああ、柿の木が生えてやがる。実が真っ赤に熟して転がってやンのか……へっ、赤いもンなんぞ見えなくたってどうってことねえや。なまじ見えるから猿と蟹が揉めるんだい。赤いもンが見えなくて困るのは桃太郎ぐれえのもんだ。鬼ヶ島いったって、青鬼はやっつけられても赤鬼にやられらァ……」

「これッ、待て待て待て待てッ!」

「へっ?」

「何用あって参った」

「へえ、その……なにか」

「赤井御門守様の御門前であるぞ」

「赤井……ああ、なるほど見えねえや。こりゃどうも、大変ご無礼をいたしまして、申し訳ねえことを……あの、溜池はどっちの方で」

「向こうじゃ」

「どうも……へへ、ぼーっとして歩っちゃったね。とんだ赤っ恥ィかいて……赤っ恥……あ、これも赤か。だったらいいや、見えねえんだからどうってこたぁねえ――それにしても、気をつけねえとどこに赤いもんがあるかわからねえね。油断大敵火がボウボウって――うわっチッチッ!」

「これこれ、焚き火の上を歩いてどうしなさる」

「焚き火だァ。往来の真ん中で火なんぞ燃やすんじゃねえ。こちとら赤いもんは見えねえんだ。ああ、チクショウ、もうちょっとでふんどし焦がすとこだったい」

「ちょっと、ちょっと、あなた! なにするんですよッ」

「な、なんでい、なんでい」

「あたしの赤ちゃん、踏まないで」

「うわっとォ――気をつけろィ、こちとら赤いもんは見えねえんだ。チョロチョロさせンない」

「もし、もし――」

「へ、へい」

「どうも、お珍しいところで」

「おう――どこに居ンだい。声はすれどもで……」

「赤螺屋の番頭の赤兵衛でございます。先だって質入れされた垢だらけの赤半纏、お請け出しのないあかつきには――」

「うわぁ――ち、ちょっと待ってくれ、いまそれどころじゃ――ああ、びっくりした。なんだよ、だんだんひどくなって来たね。赤いもんが見えねえったって程があんだろうに……おいおい、辺りがだんだんぼやけて来たよ。どうなってんだ――ああ……夕焼けだな。秋の夕焼けってのはまた、馬鹿に赤いね。こりゃいけねえや、なんにも見えなくなっちまう。早えとこ溜池ンとこまで行かねえと――」
 
 慌てて駆けだしましたが、向かう先は赤坂溜池。一歩、赤坂の地に足を踏み入れたとたん、右も左もわかんなくなって、

「うわーい、どこだァここァ――なんにも見えねえぞォ……あいてッ――誰だい、ぶつかって来たのは」

「ぶつかって来たのはお前の方だ。どうだ、もう懲りたか」

「懲りたかだとォ。その声は、おめえ――夢ン中へ出てきたあの侍か」

「如何にも。敬うべき先祖に向かって赤ン目ェなどもってのほか。すこし懲らしめてやったのだ。これに懲りて、もう二度と馬鹿な真似はするなよ」

「なんだと、この野郎。ちっとばかり先に生まれたからってでけえ面すンない。おめえなんぞにとやこう云われたかねえや、ベラボウめ。おう、ちょいと脅されたからって、あっさり引っ繰り返って腹ァ見せると思ったら大間違いだ、オレァ手前の好きにやるんだ、赤ン――」

 とやりかけて、これが元で面倒なことになったと思い出し、

「ン――青ン目ェ!」

 おかげで赤坂は抜けられたが、隣の青山でまたなんにも見えなくなった。

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