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ぼくはぼくでなくなるから

「この時代に生まれ合わせた者は皆、そう思っておるだろう。だが、どんな時代に生まれるかを、自分で決めることはできない。わしらが決めるべきことは、生まれついた時代にどう向き合うかだ」

トールキン「指輪物語」より一

「スティーヴ・ジョブズ」などの伝記で有名なノンフィクション作家、ウォーター・アイザックソンの「コード・ブレイカー」という本を読んでいました。

本の内容については私の知識ではとても説明できませんので、興味を持たれた方は実際に読んでみてください。図書館でも借りられると思います。

私たちは今、困難な時代に生きています。いや、困難でなかった時代など有史以来、ありはしなかったでしょうし、これからもそうでしょう。

私たちにできることは冒頭で引用したように「生まれついた時代にどう向き合うか」だと思います。

天災、戦争、その他諸々・・・。今もこの現時点でも、理不尽な暴力で人は苦しみ、傷つき、時に命まで失っている筈です。

ありきたりなフレーズですが「世界は悲しみに満ちている」のです。

「世界」と切り出されると私たちの多くは、無力感に苛まれるでしょう。世界の痛み、悲しみは「私たち」にとって、大き過ぎるからです。

まずは、「私」、自分自身に目を向けてみるというのは、どうでしょうか?「世界」の問題が(もし)片付いたとしても「個人」の問題というのは、「一生」かかっても解決しないものですから。

「私」は日本の田舎の普通、とは言い難いですがとにかくごく普通の家庭に生まれました。身体が子供の頃から弱く、それから逃げるように本の世界に逃げ込み、結果頭でっかちな人間に成長しました。

学校にも家庭にも、およそ集団というモノを受け付けない(受け入れられない)人間になり、居場所など何処にもありませんでした。

弾き飛ばされるように、社会に出ましたが上手くやっていけるわけはなく、精神を病み、今は「統合失調症」という精神障害と共に生きています。「鬱病」でもあり(程度は知りませんが)「死」を考えたことも幾度もあります。

大袈裟ですが「世界」を呪ったものです。「何故、こんな世の中なんだ」「何故、こんな時代なんだ」「何故、こんな自分なんだ!」と。

世界から、世の中から、弾き飛ばされて、流れ流れて行き着いた先は「障害者の作業所」でした。大変失礼ですが、当初は「堕ちるところまで、堕ちたなあ」と思ったものです。

それでも今も生きていますし、毎日作業所に出勤し働いています。それは(時間こそかかったものの)私が「世界を少しずつでも受け入れられた」からだと思います。

「堕ちるところまで堕ちた世界」で。

生まれついた時代と向き合うことを始められたから、だと思っています。

再び「コード・ブレイカー」から引用させていただきます。

「わたしたちは遺伝性疾患のおかげで、表現力、創造性、臨機応変な対応、交流といった機会、つまり人間的な豊かさを育む機会に、他の人より早くアクセスすることができた」

「二人とも聾(ろう)だが、それを治すべき障害ではなく、自分たちの個性の一部と見なしている」

ありのままの「自分」を「受け入れる」。とても難しいことですが、このことを胸にこれから生きていけたらなと思います。

最後に、三たび引用になりますが、また「コード・ブレイカー」から一

「この病気でなかったらよかったのに、とは思わないよ。そうなったら、ぼくはぼくでなくなるから」

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