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「憶測」を「観察」へ

「今日の1枚」は、あひるの置き物。
この表情と色合いが好きだ。なんか今にも喋りだしそうなところも。

今日の足つぼマッサージ

・基本(副腎~膀胱)
・全体的に
・胃、腸

急に寒くなってきた。足つぼマッサージをしても足の裏が暖かくならない。
少し前まであんなにぽかぽかしていたのに。
右足の胃のあたりのしこりが気になったので、そこを重点的にマッサージしたので、その部分だけはジンジンポカポカしている。
ということは、他のところはマッサージが足りてないのか。明日は、指先を重点的にマッサージしてみよう。

今日のビブリオマンシー

――そのすべてを観察するとき、君の反応はどうでしょう。自分の反応がどうなのかを、君自身で見出すことがとても重要です。

「子供たちとの対話」J・クリシュナムルティ

貧しい子供ふたりを眺めながら、何を感じていたのか?という質問に対するこたえの一部。

ものごとや出来事を観察して、わたし自身の反応がどうなのかを知る。

昨日今日とバイト中、初めての環境でパンをつくることに夢中になりながらも、そこで働く人たちをみながら感じ考えていたことがあったことを思い出した。

毎日朝4時から働く店長。
幼稚園の話が出ていたからきっと子どもがいるのだろう。仕事から帰って、家族と過ごす時間ってあるのかなぁ?働く時間って、こんなに必要かなぁ? 暮らしを楽しむ余裕がある働き方が多様にあるってどういうことだろう。

話好きの男性社員。
一見明るくて、おしゃべり好きのようなんだけど、なんだろう。何か違和感があって、本当に話したいことはそんなことではないような、いや、そもそも話したいのかなぁ。そうしなきゃって思って話してるんじゃないかなぁ。周りの人たちの様子をいつも伺いながら生きなきゃいけない環境にいたのかなぁ。
違和感と同時に、やるせなさのようなものが湧いてきた。
自分にも𓏸𓏸しなきゃ!という思考が先に立ち、わたし自身がどうしたいのか?を蔑ろにしていることが多いから。その人がそうかどうかはわからないけど、自分自身がどうしたいのか?を一人ひとりが知る環境があるって幸せだと思う。

仕事中に話す余裕はなかったから、今日事実を知ることはできなかったにしても、わたしはこうやって一部を見て、憶測が拡がっていくのだなぁ。
そうやって事実とかけ離れていくことが多い。

そもそも「観察」をしていないことを知った。
“そのすべてを観察するとき”って、どんなときか。
その人の家族のこと、最近起こったこと、体調のことや仕事のこと、いろんな背景を含んでみているとき。
その人に直接聴くこともできるかもしれないし、周りの人に聴くこともできるし、その人が発信しているものをみることもできる。

ほう。
やってないことだらけだ。
観察したとき、わたしはどんな反応をするんだろう。
みんな(仲間)のnote、読んでみよう。

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