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自分の声に耳を傾ける

今日は、デイサービスで入浴介助を行った。
利用者さんは自宅で生活している人ばかりで、食事や排泄など身の回りのことは自分で行うことができ、一部介助や見守りが必要な方が利用されている。
入浴に関しては、自宅での入浴に不安があり、デイサービスで入浴サービスを利用されている方が多い。
衣服の着脱時は、主に見守りをしながら浴後に着る服の準備や脱いだ服の整理などをしている。
浴室に入ってからは、全介助の方が多く、手が届くところだけ身体を洗ってもらう。

そんな中、着替えのサポートをしようとすると、「なんか他にすることないと?」と。
その方は、介助のいらない利用者さんだった。
「人前で服脱ぐ人の身にもなってよ。」
というようなことを仰った。

そりゃそうだ。助けが要らないのに傍に居られても恥ずかしさもあるだろうし、心地悪いよな。
と一旦受け止めた風のわたし。
浴室の準備をする振りをしながら、離れて待つことにした。
待ちながら、「っていっても見守りが仕事やし。なんとかやし、なんとかやし。」と脳内ツイートが始まる。
本音は、自分がどのように過ごしていることが相手にとって心地よいのかがわからず困惑していた。
「あぁ、わたし、相手のニーズに応えたいんだよね。だけど、相手のこと知らんで、どこまで目を離してよくてどの程度の見守りが必要か判断がつかなくて焦ったね。」

やっと落ち着く。

その方の足どりや動作の様子を見ながら、少しだけドアを開けて時々声をかけながら見守る。

相手のニーズに応えるなんて言いながら、相手の欲求以前に自分の選択の良い悪いに意識が向いていた。
正解探しが身に染みている。
だが、そんな自分の違和感と感心地悪さを感じ、寄り添い、「本来のわたしの欲求はなんだ?」と問うわたしが出てきたことで、「相手も自分も心地よく過ごせるって?」「今の最善は?」と考え直すことができ、ざわざわし、一瞬葛藤が生まれた気持ちが穏やかになった。

自分自身を信じるって、その瞬間自分が感じていることを頼りにするより他ないんだな、と実感した日だった。


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