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「曖昧」が真実なら。

夜空に煌々と輝く月。
見上げれば、確かにそこにある。

でも誰も見ていない時、月は一ヶ所に留まらず様々な場所にいる。

そんな不思議な例を用いて1mmの1000万分の1以下という、なんかもうよく分からない単位の、小さな小さな「ミクロの世界」を面白く理解出来る本がある。

『相対性理論と量子論』(PHP研究所)という、ちょっと(いや、かなり?)難しそうで、とっつきにくいタイトルなのだが、中身は「もし名探偵シャーロック・ホームズが、現役を退いてから科学理論に興味を持ったら?」という架空のストーリー仕立てになっていて、数学や物理がめちゃくちゃ苦手だった私でも楽しく読める良本だ。


ミクロの世界には、私たちの常識が通用しない性質があって、それを解明したものを「量子論」と言うそうだ。

常識外れの性質というのは、例えば電子などのミクロサイズの物質は、誰も見ていない時は「ここにもいる」「あそこにもいる」という住所不定の状態なのだが、いざ観察しようとすると、ある一点で発見されるという摩訶不思議な性質があるらしい。

まるで「だるまさんがころんだ」みたいだ。

なぜそんな事になるのかというと、ミクロの物質が「粒」でもあり同時に「波」としての性質も持つからなのだそうだ。

であればミクロの物質の集合体である月も、誰も見ていなければフラフラと場所が定まらず、見ようとするとどこか一ヶ所にある、という事になる。(これが本に出ていた月の話)

それなら人間だって同じじゃないだろうか。例えば、隣りの部屋でソファに座ってテレビを観ているはずの夫も、私が見ていなければ波になって、あっちこっちを漂っているって事なのか?で、私が覗いた途端にヒュッと戻るって……そんなバナナ。

いやいや量子論的には、そういう事なのだ。

ただし、人間や月などのマクロサイズの物質は波としての性質が弱いので、ほぼ一ヶ所にいると考えていいと本にはある(そりゃそうだよね)。まあでも、自分が見ていない所では夫も猫もテレビもソファも、物質全てがあっちにフラフラこっちにフラフラしてると想像する方が、なんだか面白いけれど。


誰も見ていない時に「波」として広がっている1個の電子は、必ずどこか一ヶ所で「粒」として見つかるそうだが、じゃあどこで見つかるのかと言うと、それは確率の問題なのだそうだ。

どういう事かと言うと、「電子が見つかる場所?うーん、A地点で見つかる確率が高いけど、もしかしたらB地点かも知れない。ま、その時になってみないと分かんないよね」みたいな感じで、絶対ここにいるとは確定出来ないものらしい。

そんな曖昧な、出たとこ勝負のギャンブルみたいな解釈を「ミクロの世界の特別なルール」とする事に断じて納得出来なかったのが、かのアインシュタインだ。「神はサイコロを振らない」と言う有名な言葉で量子論を批判したのだが、しかしながら結局、量子論は正しい物理理論として現在でも認められている。

自然とは、実は曖昧なもの。
神だって、サイコロ遊びをする。

それが真実ならば、人間ももうちょっといい加減でもいいのかも知れないなぁと思う。

全てにおいて「絶対これが正しい」「これが正解だ」と明確な答えを出そうとする人間に対して、神様は意外と「いや、オレそんなにキッチリ世界作ってないから」なんて思っていたりして(笑)

だとしたら、私ももう少し肩の力を抜いて気楽に生きていってもいいんじゃないかって気がする。そんなに必死に正解を探さなくても、そもそも世界は曖昧なものなのだから。

なーんて事を、今夜の月を見ながら考えた。


ちなみに紹介した書籍は、量子論と並んでもう一つの大きなテーマ「相対性理論」についても楽しく理解できる。他にもブラックホールや重力、多世界解釈にも触れていて、まんま私の好きな映画『インターステラー』の世界だ。

本を読んだ後、Amazonプライム・ビデオで再び『インターステラー』を観たのは言うまでもない。(もう何回目だろう)

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